2026年4月1日水曜日

5センチ伸びた気がした朝——エイプリルフールの小さな嘘が、いつの間にか本音になっていた

原題:「5センチ」 



いつもの午後 いつも通り目が覚める。
まだ眠り足りないのもいつも通り。

今さら快眠を感じても、それに幸せを感じるわけもなく。

しばらく穴の空いた布団に半身浴。
やたらと長いカーテンの下からは5センチほどの外の世界が見れる。生憎の晴れ
干しっぱなしの洗濯物の影が揺れている。
風はある。

むくっと立ち上がる。
むくっとした下腹部。
起き上がるには理由が必要だった。
生理現象。

トイレの入り口の上部がいつもより近く感じた。
5センチほど身長が伸びたようだ。


今日はエイプリル
どうせならしょうもない
嘘を

ごめんなさい
なんて本当に思ってるのか

【2026年4月加筆】
[Updated Spr 2026]

「5センチ」は、本当に嘘だったのか

あの日が四月一日だったことに、
あとから気づいた読者もいるかもしれない。

嘘をつく日。
嘘を許される日。
あるいは、嘘という形でしか本音を置けない日。

「5センチ伸びた」という、どうしようもない嘘。
体重が減ったとか、人生が変わったとか、
そういう“意味のある嘘”ですらない。

それなのに、この嘘は、やけに正直だ。


カーテンの下から見えた5センチの外の世界。
それは希望でも展望でもなく、
単に「世界が続いている」ことの確認だった。

2026年の今、
私たちはあの頃よりもずっと多くの情報を知っている。
戦争も、分断も、経済不安も、
AIが文章を書き、映像を作り、
「嘘」と「本物」の境界線すら曖昧になった。

それでも朝は来る。
布団は少し破れていて、
洗濯物は干しっぱなしで、
晴れているのに、気分は特に良くも悪くもない。

世界は劇的には変わらない。
変わった“ような気がする”だけだ。


身長が伸びた気がした瞬間。
ドアの上部が近づいた錯覚。

あれは成長ではない。
上を向いた一瞬の姿勢の変化だ。

だけど人は、その一瞬を信じたがる。
昨日と今日が違うと信じたい。
自分が、ほんの5センチでも前に進んだと。

だから嘘をつく。
だからエイプリルフールが必要だった。


2026年の私たちは、
「嘘を見抜く力」は持った。
しかし同時に、
「信じてしまう弱さ」を失ってはいないだろうか。

正しさばかりが消費され、
間違いは即座に裁かれ、
言葉は切り取られ、保存され、
後戻りできなくなった。

そんな時代において、
この作品の嘘はあまりにも小さい。

5センチ。
誰も傷つかない。
誰も得をしない。
ただ、書いた本人だけが、少し楽になる嘘。


「ごめんなさい
なんて本当に思ってるのか」

この一文は、
誰かに向けた謝罪ではない。

自分自身への疑問だ。

謝れるほど、
まだ世界と正面から関われているのか。
責任を感じるほど、
何かを本気で信じているのか。


コロナ禍を越え、
リモートが当たり前になり、
人と会わなくても仕事は終わり、
声を出さなくても意思は伝わるようになった。

便利になったぶん、
身体の実感は薄れた。

だからこそ、
むくっとした下腹部や、
トイレに行く理由のような、
極めてどうでもいい「生理現象」が、
逆にリアルに感じられる。

生きている証拠が、
そこにしか残っていない気がするからだ。


「嘘」は、
現実から逃げるためのものではない。

「嘘」は、
現実と向き合い続けるための、
一時的な避難所だ。

本当のことだけを言い続けたら、
多分、人は壊れる。

だから人は、
伸びてもいない身長を伸びたことにして、
今日を始める。


5センチ伸びた世界は、
どこにも存在しない。

けれど、
5センチ分だけ世界を見る角度が変わったなら、
それはもう、嘘とは呼べない。


エイプリルフールが終わると、
何事もなかったように、次の日が来る。

誰も成長を確認しない。
誰も訂正を求めない。

それでいい。

嘘は、
回収されないから成立する。


この文章を読み終えた今、
読者のあなたが立ち上がっても、
天井との距離は変わらないだろう。

それでも、
ほんの5センチだけ、
昨日より視線が上がっていたとしたら。

それは、
とても人間らしい嘘で、
とても誠実な変化だ。


そして明日もまた、
いつもの午後が来る。

目が覚めて、
眠り足りなくて、
幸せでも不幸でもなくて。

それでも、
カーテンの下から覗く世界は、
確かに、続いている。


written by ときなかと

オリジナル投稿:2019年4月1日

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