2024年4月15日月曜日

土浦城東櫓:江戸時代の技術と現代工法が融合した建築の魅力

原題:土浦城の東櫓は江戸時代の技術と現代工法がミックスされた建築実例 

土浦城の櫓は、東と西にあります。

いずれも土塁の上に築かれているのが特徴です。
今回は東櫓を取り上げます。
The turrets of Tsuchiura Castle are in the east and west. All of them are characterized by being built on earthworks. This time, I will take up the east turret.

江戸と現代のミックス
A mix of Edo and modern times

東櫓は、1988年に、「江戸時代の建築技術」と「現代工法」がミックスされて、復元されました。
The east turret was restored in 1988 by mixing "building technology from the Edo period" and "modern construction method".



東櫓は、土浦市立博物館の別館としても親しまれてます!
The east turret is also popular as an annex to the Tsuchiura City Museum!

木造本瓦葺き 二階建て(二層二階)
入母屋造り

1階 梁間 4間 × 桁行 5間 = 20坪
2階 梁間 3間 × 桁行 4間 = 12坪

延床面積 32坪(約111.1m2
※1間=約1.86mで換算

土浦市周辺で販売されている建売分譲住宅が 100~115m2くらいです。
東櫓は、一戸建て住宅の延床面積と、ほぼ同じくらの規模と考えることもできます。
The number of built-for-sale houses sold around Tsuchiura City is about 100-115m2. The east turret can be thought of as about the same size as the total floor area of a single-family house.

建築技術と工法の継承は一戸建てにも活かされている
The inheritance of building technology and construction methods is also utilized in single-family homes

茨城県では、「破風」のデザインに趣向を凝らした建築実例が豊富です。
一般住宅の一戸建てにも、「城に見える」ような佇まいが、昭和から平成にも、かなり建築され続けています。
In Ibaraki Prefecture, there are abundant architectural examples with elaborate designs for "gables". From the Showa era to the Heisei era, the appearance of a single-family house that looks like a castle has continued to be built.

注文住宅の工務店で継承されている技術
Technology inherited at custom-built home construction shops

多くは地元の注文住宅の工務店が取り扱っていて、注文住宅ならではの「アフターケア」が充実しているのがポイントです。
何世代にもわたって、定期的にメンテナンスが行われ、適切な時期を選んで修理や修繕も行なわれます。

Most of them are handled by local custom-built home construction shops, and the point is that the "aftercare" unique to custom-built homes is substantial. Regular maintenance is performed for generations, and repairs and repairs are also carried out at the right time.

修繕のタイミング
Timing of repair

壊れてしまった場合は、すぐに修理する必要がありますが、壊れていない状態で修繕するには、予算の問題もあって決断するのが大変ですよね。
けれども経年劣化を見極めて、壊れてしまう前に次の修繕を始めたほうが、建物へのダメージが少なくなります。
長持ちさせたいなら、定期メンテナンスと、適切なタイミングでの修繕が重要。そのほうが長い目で見て、経済的です。

If it breaks, you need to repair it immediately, but it is difficult to make a decision to repair it in an unbroken state due to budget issues. However, it is better to identify the deterioration over time and start the next repair before it breaks, so that the damage to the building will be less. If you want to make it last longer, regular maintenance and timely repairs are important. That is more economical in the long run.

一戸建てを長い目で見ることができるなら
If you can see a detached house in the long run

ひとつの住まいに、長く住み続ける。なかなか簡単ではないですよね。
建物を長持ちさせたいなら、定期メンテナンスと、壊れる前に修繕していくのが理想的です。
ただし、あくまでも『長い目』で見た場合です。
仕事の都合で転勤になったり、マイホームを売却する可能性が高いと、『とりあえず30年でいい』と考えるのも無理からぬ話。
長い目で見たほうが経済的にはお得なのですが、仕事や生活スタイル、収入などの不安要素があると、そうも言っていられないのが現実です。
インターネットとAIの普及、さらにさらなる進化に伴って、いまより洗練されたスタイルで職住近接が増えていけば、「長い目」で見られるようになるかもしれません。

Continue to live in one house for a long time. It's not easy, isn't it? If you want your building to last longer, it's ideal to have regular maintenance and repairs before it breaks. However, this is only the case when viewed in the "long term". If there is a high possibility that you will be transferred or sell your own home due to work reasons, it is not unreasonable to think that "30 years is fine for the time being". It's economically advantageous in the long run, but the reality is that you can't say that if you have anxiety factors such as work, lifestyle, or income. With the spread of the Internet and AI, and further evolution, if the proximity to work and residence increases in a more sophisticated style, it may be seen in the "long term".


壊れていないときこそメンテナンス
Maintenance only when it is not broken

住宅が完成して終了とするのではなく、むしろ住宅が完成して暮らし始めてからが「メンテナンスの始まり」です。
工務店と良好な関係を維持すれば、世代を超えてメンテナンスし続けてもらえます。
建物が壊れていないときこそ、メンテナンスが大切です。壊れていなければ、修理の必要がないので、ほぼ無料。経年劣化を早期発見できるので、劣化しきってしまう前にリフォームの時期を決められます。リフォームコストを軽くできますよ。
一戸建ては、「木造建築30年が寿命」と言われていますが、注文住宅の世界では「しっかりとした構造体で、100年以上、住み続けられる」のです。
もちろん、建売分譲住宅でも、メンテナンスが行き届いていれば、30年を超えても安全に暮らし続けられます。
Rather than completing the house and ending it, the "maintenance begins" after the house is completed and you start living. If you maintain a good relationship with the contractor, you will be able to maintain it for generations to come. Maintenance is important when the building is not broken. If it's not broken, it doesn't need to be repaired, so it's almost free. Since aging deterioration can be detected early, you can decide the time of remodeling before it is completely deteriorated. You can reduce the remodeling cost. It is said that a detached house has a lifespan of 30 years for a wooden building, but in the world of custom-built houses, it has a solid structure and can continue to live for more than 100 years. Of course, even in a built-for-sale house, if it is well maintained, you can continue to live safely for more than 30 years.

棟梁や大工とのつながりがあると理想的
Ideal to have a connection with a builder or a carpenter

新築の一戸建ては高いです。
けれども、中古住宅は、手頃な価格帯が豊富です。
そんな中古住宅を、「改善」「リフォーム」「リノベーション」する方法も人気があります。
注文住宅の工務店は、棟梁や大工と密接な関係があるので、住宅完成後も相談相手になってもらえます。
一戸建て住宅を「商品」として販売して完了する「建売分譲」のスタイルだと、誰が設計したのか、誰が施工したのか、設計図と仕様書が残されているのかなど、時間が経過すればするほど「わからなくなる」ことが多いです。
工務店でも、ハウスメーカーでも、どちらを選ぶにしても「棟梁や大工とつながりがあるか」「施工者の名前と顔がわかるか」に注目してみませんか。
中古住宅は、手頃な価格帯が豊富です。が、本格的なリフォームは、それなりの価格がします。
「長い目で見られる」「棟梁や大工と連携できる」「施工者がわかっている」そんな住宅ならば、中古住宅でも長持ちしやすいです。なので、同じように見える中古物件でも、「注文住宅の工務店が建築施工した建物」は、とてもお買い得です。もちろん、建築者・施工者と連絡が取れて、引き続きメンテナンスを担当してもらうことも重要になります。

Newly built single-family homes are expensive. However, pre-owned homes are well priced. The methods of "improving," "remodeling," and "renovating" such used homes are also popular. The custom-built house construction shop has a close relationship with the builder and the carpenter, so you can consult with us even after the house is completed. With the style of "built-for-sale", which is completed by selling a detached house as a "product", who designed it, who constructed it, whether the blueprints and specifications are left, etc. The more often I don't understand. Whether you choose a construction shop or a house maker, why not pay attention to "whether you have a connection with the builder or carpenter" and "whether you know the name and face of the builder". Second-hand homes offer a wide range of affordable prices. However, full-scale remodeling has a reasonable price. If it is a house that can be seen in the long run, can cooperate with a builder or a carpenter, and the builder knows, it is easy to last a long time even in a second-hand house. Therefore, even if the used property looks the same, the "building constructed by a custom-built house construction shop" is a great bargain. Of course, it is also important to get in touch with the builder / constructor and have them continue to be in charge of maintenance.

土浦城東櫓は江戸時代の建築技術が現代によみがえった実例
Tsuchiura Castle East Tower is an example of the modern building technology of the Edo period.


土浦城の東櫓は、城郭の復元であると同時に、伝統的な技術を継承した建築実例。次の世代への継承です。
歴史的な建造物の復元は、観光資源になります。同時に、伝統的な技術の継承に、とても役立っています。
建築技術の継承は、建築の現場で。技術は、観光資源の城にも、市街地の住宅にも応用されます。良い意味での相互作用ですね。
さらに最新の研究成果が反映されたり、技術と工法も進化しています。耐震性や耐久性は、さらに向上していくと思います。住まいの断熱性が向上すれば、冷暖房効率が良くなるので光熱費節約の効果が大きいです。
The east turret of Tsuchiura Castle is an architectural example that inherits traditional techniques as well as the restoration of the castle. Inheritance to the next generation. Restoration of historic buildings will be a tourism resource. At the same time, it is very useful for inheriting traditional techniques. Inheriting building technology is at the construction site. The technology will be applied to both castles of tourism resources and housing in urban areas. It's a good interaction. Furthermore, the latest research results are reflected, and the technology and construction methods are also evolving. I think that earthquake resistance and durability will be further improved. If the heat insulation of the house is improved, the cooling and heating efficiency will be improved, which will greatly save the utility bill.

【2024年4月加筆】
[Updated April 2024]

土浦城の歴史

土浦城は、茨城県土浦市に位置する城で、戦国時代から江戸時代にかけて重要な役割を果たしました。城の起源は戦国時代に遡り、小田氏や佐竹氏の支配下にありましたが、関ヶ原の戦い後には徳川家康の譜代大名である西尾氏が城主となりました1。その後、松平信興による大規模な改修が行われ、現在の形に整えられました2

東櫓の役割と特徴

東櫓は、もともと城の防御拠点としての役割を果たしていました。物見や武器庫としての機能を持ち、さらに貴重品を保管する文庫蔵としても利用されていたと考えられます1。明治時代の火災で一度失われましたが、平成10年(1998年)に復元されました3

江戸時代の建築技術

復元された東櫓は、江戸時代の建築技術を忠実に再現しています。木造本瓦葺きの二階建てで、入母屋造りの構造を持ちます。1階は4間×5間(約20坪)、2階は3間×4間(約12坪)で、総面積は約32坪(約111.1平方メートル)です1。このような伝統的な技術を用いることで、当時の建築様式や技術を後世に伝えることができます。

現代工法の導入

復元にあたっては、現代の工法も取り入れられました。例えば、耐震性を高めるための補強や、現代の建築基準に適合するための改良が施されています。これにより、歴史的な価値を保ちながらも、安全性や耐久性を確保しています3

観光情報

土浦城の東櫓は、現在では土浦市立博物館の付属展示館として公開されています。博物館と共通の入館料で見学することができ、館内では土浦城の歴史や文化について学ぶことができます1。また、東櫓の2階からは亀城公園の美しい景色を一望することができ、訪れる人々にとって魅力的な観光スポットとなっています3

最新情報(2024年4月時点)

2024年4月時点での最新情報として、土浦城では新たな展示やイベントが計画されています。特に、江戸時代の生活や文化を体験できるワークショップや、現代の技術を用いたインタラクティブな展示が注目されています。これにより、訪れる人々がより深く歴史を学び、楽しむことができるよう工夫されています1

アクセスと利用案内

土浦城へのアクセスは、JR常磐線の土浦駅から徒歩約15分と非常に便利です。博物館の開館時間は9:00から16:30までで、月曜日と祝日の翌日、年末年始は休館となっています。入館料は一般200円(団体割引あり)、高校生以下は無料です1

まとめ

土浦城の東櫓は、江戸時代の建築技術と現代工法が融合した貴重な建築物です。その歴史的背景や建築技術、現代の改良点について詳しく知ることで、訪れる人々はより深い理解と感動を得ることができるでしょう。最新の展示やイベント情報もチェックして、ぜひ訪れてみてください。

1: 土浦市立博物館 2: 市街地に残る数少ない関東の城 土浦城 3: 土浦城東櫓(土浦市)うぃーくえんど茨城

この情報が、土浦城の東櫓に関する理解を深める一助となれば幸いです。何か他に知りたいことがあれば、遠慮なくお知らせください。


written by 水瀬次郎

オリジナル投稿:2019年4月15日

土浦の歴史と文化:櫓門の太鼓が刻む水の都の魅力

 原題:土浦城の櫓門は太鼓櫓!かつては太鼓で時刻を知らせていた

土浦城の櫓門、かつては太鼓櫓と呼ばれていました。
The turret gate of Tsuchiura Castle was once called the Taiko turret.


1656年 明暦2年 完成

土浦城は、霞ヶ浦と豊かな水で繋がり、水濠に囲まれている城でした。
本丸が中心地となって、ぐるりと輪郭式に濠がめぐらされて、城下町そのものも濠で囲まれていました。
幾重にも、濠が整備されていましたが、もともと湖畔と湿地の環境を有効活用していたと言えますね。
現在は湖と城の間に市街地が広がっています。
土浦城の城郭は公園として整備され、桜の名所として、紅葉スポットとして、普段から散歩コースとして地元で愛されている公園です。
Tsuchiura Castle was a castle surrounded by a moat, connected to Kasumigaura by abundant water. With the main enclosure as the center, a moat was surrounded by a moat, and the castle town itself was surrounded by a moat. There were many moats, but it can be said that the environment of the lakeside and wetlands was originally used effectively. Currently, the city area extends between the lake and the castle. The castle of Tsuchiura Castle has been maintained as a park, and is a park that is loved by the locals as a famous place for cherry blossoms, a spot for autumn leaves, and a walking course.

「市民の記憶」で少しづつ歴史が解明へ
"Citizen's memory" gradually reveals history

利根川流域は田園や畑が広がっていますが、それは今の景色。利根川を太平洋に向けた運河工事のおかげです。
想像を絶する開拓事業が行われてきたからの結晶といっていいのではないでしょうか。
The Tone River basin has a lot of countryside and fields, but that is the current scenery. Thanks to the canal construction that directed the Tone River to the Pacific Ocean. It can be said that it is a crystal of the unimaginable pioneering business.

霞ヶ浦と香取海には水域の歴史がある
Kasumigaura and the Katori Sea have a history of water bodies

現在の姿になるまえ、霞ヶ浦は「内海」でした。
その名も「香取海」
しかも、地形的に「海と繋がっていた」というレベルではなく、まさしく「陸地の奥へと広がっている内海」でした。
Before becoming the current figure, Kasumigaura was "Utsumi". Its name is "Katori Sea" Moreover, it was not the level of being "connected to the sea" topographically, but the "inland sea spreading deep into the land".

霞ヶ浦の水上交通
Water transportation in Kasumigaura

霞ヶ浦の「端」に、港町があります。土浦、そして高浜が有名です。
霞ヶ浦の遊覧船や、帆かけ船に乗った方は体感できたと思いますが、実は霞ヶ浦の湖面は「走るように航行できる」のです。
There is a port town at the "end" of Kasumigaura. Tsuchiura and Takahama are famous. I think that those who got on a sightseeing boat or sailing boat in Kasumigaura could experience it, but in fact, the surface of the lake in Kasumigaura "can sail like a run".



風でしょうか、水の流れでしょうか。
土浦の港を出て、うまく湖面の「水路のようななにか」に乗ると、あっというまに潮来方面へ。
敵に備えた防御の拠点としても、いざ攻撃に出港する拠点としても、「内海」の土浦や高浜は魅力的な立地条件です。
現在の地形で見てしまうと、「土浦? 港があるの?」と思われるだけかもしれませんが、「香取海」が広がっていた時代であれば、とてつもなく魅力的な環境だったのではないでしょうか。
Is it the wind or the flow of water? When you leave the port of Tsuchiura and get on the "something like a waterway" on the surface of the lake, you will be in the direction of Itako in no time. Tsuchiura and Takahama in the "Utsumi" are attractive locations, both as a base for defense against enemies and as a base for launching attacks. If you look at the current terrain, you may just think "Tsuchiura? Is there a port?", But in the era when the "Katori Sea" was widespread, it would have been a very attractive environment. Is it not?

土浦は平将門が築城した!?
Tsuchiura was built by Taira no Masakado! ??

土浦は平将門が築城した、ともいわれています。
それを証明する資料は現在のところ公開されていないようです。室町、戦国時代からの築城の歴史がスタートラインです。
しかし、香取海の水上交通と、防御と出撃の両拠点としても、魅力的な土地。
国家を運営するとしたら、軍事的要塞としても、貿易などの交流拠点としても、重要視されたのではないかと予想できます。
出版されていない資料や、ある種の「一子相伝」などによる伝承が「極秘の書簡」などとともに公開される日が来たら、いまよりも詳しく土浦城の歴史が姿を現すのではないでしょうか。いえ、土浦だけでなく、霞ヶ浦と香取海の水域の歴史が。それまでは想像力を働かせながら、想いを馳せるのみです。
ドラマや映画の影響力は大きいですから、タイミングが合えば、香取海を舞台にした「もののふ」たちの戦国模様が映像化されるかもしれません。
Tsuchiura is said to have been built by Taira no Masakado. It seems that the material to prove it has not been released so far. The starting line is the history of castle construction from the Muromachi and Sengoku periods. However, it is an attractive land as a base for both defense and sortie, as well as water transportation in the Katori Sea. It can be expected that if the nation were to be operated, it would have been regarded as important both as a military fortress and as an exchange base for trade. When the day comes when unpublished materials and folklore from certain "Ichiko Soden" will be released together with "secret letters", the history of Tsuchiura Castle will not be revealed in more detail. Is it? No, not only Tsuchiura, but also the history of the waters of Kasumigaura and the Katori Sea. Until then, you can only use your imagination and think about it. The influence of dramas and movies is great, so if the timing is right, the Sengoku period of "Mononofu" set in the Katori Sea may be visualized.


水の都
City of Water

常陸(茨城)と下総(千葉)との間にあるのは、現在は利根川ですが、かつては「香取海」でした。
瀬戸内海の海賊や水軍とは異なるでしょうが、新らしい視点で歴史物語が描けると思います。
海を挟んだ攻防、さらには海に浮かぶ「浮島」の壮大な歴史絵巻など、まだまだエピソードが盛りだくさんです。
Between Hitachi (Ibaraki) and Shimosa (Chiba) is the Tone River, but it used to be the Katori Sea. It will be different from the pirates and navy in the Seto Inland Sea, but I think you can draw historical stories from a new perspective. There are plenty of episodes such as offense and defense across the sea, and a magnificent historical picture scroll of "floating islands" floating in the sea.



市民の記憶は地域の絵本に綴られています
Citizens' memories are spelled out in local picture books

子供の頃に見た「絵本」など、かなり夢中になって見たり読んだり「聞かせて」もらったりしました。
インターネットで『なんでもわかる』時代になりましたが、まだまだ『あれまだ? あのことは?』というエピソードは膨大な量があります。
まあ、すべてが公開されることが良いことなのかはわかりません。
でも、家族の命や家名の名誉を守るために「隠さなければならない」という歴史背景が原因なのだとしたら、本当の意味で「江戸幕政と明治維新が終焉した新しい時代」になったときに、晴れて公の舞台に登場することでしょう。
秘史は息をひそめています。「視点が変わるタイミング」を、待っているのだと思います。
その日までは、嘘も真実も脚色も含め、ありとあらゆる「物語」が、前奏曲として奏でられ続けるのでしょう。
ゆっくりと、しかし着実に、歴史物語が現在進行形で語られ、つづられています。
最新の情報も含め企画展示も豊富です!
I was so absorbed in seeing, reading, and getting "tell me" about the "picture books" I saw when I was a kid. We are in an era where you can understand anything on the Internet, but there is still more to say, "Are you there?" What about that? There is a huge amount of episodes. Well, I don't know if it's good that everything is published. However, if the cause is the historical background of "must be hidden" in order to protect the life of the family and the honor of the family name, in the true sense, when the "new era when the Edo Shogunate and the Meiji Restoration ended" came. It will be sunny and appear on the public stage. The secret history is breathtaking. I think we are waiting for the "timing when the viewpoint changes". Until that day, all kinds of "story", including lies, truths, and adaptations, will continue to be played as preludes. Slowly but steadily, historical stories are being told and spelled in the present progressive tense. There are plenty of special exhibitions including the latest information!


土浦市立博物館

土浦城の櫓門は入母屋本瓦葺き!くぐれば重圧感が!!
The turret gate of Tsuchiura Castle is tiled with a main roof! If you go through it, you will feel a sense of pressure! !!

櫓門は、「桁行3間 梁間2間」の構造で、入母屋造です。
平瓦と丸瓦を組み合わせた本瓦葺きなので、一般的な住宅の屋根瓦とは比べものにならないほど重いです。
The yaguramon has a structure of "3 girders and 2 girders" and is a gabled building. Since it is a real roof tile that combines flat roof tiles and round roof tiles, it is heavier than the roof tiles of ordinary houses.



櫓門をくぐるとき「あれ?」と重圧感を肌で感じられますよ!のしかかってくるような、頭上からの圧迫感です。

ちょっとメモ:「桁行3間 梁間2間」の桁行と梁間とは?

桁行=「けたゆき」⇒「平側」
梁間=「はりま」=「張間」と書くことも⇒「妻側」

建物を図面で見て、長方形の長いほうが「長手方向」で、短いほうが「短手方向」です。
桁行は「長いほう」で、梁間は「短いほう」です。
長いほうは「長手」、短いほうは「短手」と表記されます。


桁行も梁間も、建物がどのような構造であっても使われている用語です。
木造建築、軽量鉄骨、鉄筋コンクリート、RC、いずれにも共通しています。

When you go through the yaguramon, you can feel the pressure on your skin! It's a feeling of oppression from above, as if it's leaning against you. A little note: What are the girder rows and beam spacing of "3 girder rows and 2 girder rows"? Column line = "Ketayuki" ⇒ "flat side" Ryoma = "Harima" = "Zhangma" ⇒ "Gable" Looking at the building in the drawing, the longer rectangle is the "longitudinal direction" and the shorter one is the "shortest direction". The girder row is the "longer one" and the distance between the beams is the "shorter one". The longer one is written as "longitudinal" and the shorter one is written as "short hand". Both girders and beam spacing are terms used regardless of the structure of the building. It is common to all wooden buildings, lightweight steel frames, reinforced concrete, and RC.

フンフンフン♪
Hung Hung Hung ♪

「櫓門が傾いた」と言われたことがあり、その原因がハトのフン。
ハトのフンの蓄積は相当な量だったらしいですが、もともと本瓦葺きの重量がベースにあるため、建物を歪ませたり地面に沈んだりして傾いてしまったのかも。
もちろん現在は、櫓門の屋根が美しく整えられでいます。
でもハトは、どうでしょう。
土浦駅前に夕暮れ時、たくさん旋回しながら集まってくる姿を見かけますが、あれはハトではなくムクドリでしたか。
都市の発展も大切ですが、これからは人だけでなく野性の動植物たちとの共存も重要になりますね。
動植物たちとの共存。きれいごとではなく、フン害清掃や、雑草駆除などは、税金が使われますので。共存共栄できることを願ってます。

It was once said that the yaguramon was tilted, and the cause was pigeon droppings. It seems that the accumulation of pigeon droppings was a considerable amount, but since the weight of the main tile was originally the base, it may have distorted the building or sank to the ground and tilted. Of course, nowadays, the roof of the yaguramon is beautifully arranged. But what about pigeons? At dusk, in front of Tsuchiura station, you can see a lot of swirling gathering, but was that a starling instead of a pigeon? Urban development is important, but from now on, coexistence with wild animals and plants as well as humans will be important. Coexistence with animals and plants. Taxes are used for cleaning dung damage and weed control, not for cleanliness. I hope we can coexist and co-prosper.

水の都から空の都へ
From the city of water to the city of the sky

水の都、土浦。水運交通の発展と、しょうゆ醸造で栄えました。明治維新を迎えてからは、空の都にもなっていきますが、それはまた別の機会に。
Tsuchiura, the city of water. It prospered with the development of water transportation and soy sauce brewing. After the Meiji Restoration, it will become an empty city, but that will be another opportunity.


第40回特別展「町の記憶―空都土浦とその時代」を開催しています
2019年 5 月 6日まで開催中@土浦市立博物館

【2024年4月加筆】
[Updated April 2024]

土浦城の櫓門と太鼓の歴史

土浦城は、茨城県土浦市に位置する歴史的な城で、戦国時代から江戸時代にかけて重要な役割を果たしました。特に櫓門(やぐらもん)は、城の防御と監視の要として機能していました。櫓門には太鼓が設置され、城下町の住民に時刻を知らせるために使用されていました1

刻の太鼓の役割

江戸時代、櫓門の太鼓は「刻の太鼓」として知られ、午前6時(明六ツ)と午後6時(暮六ツ)に打ち鳴らされていました。この太鼓の音は、城下町の武士や町人に時刻を知らせる重要な役割を果たしていました2。太鼓は1770年に制作され、約100年間にわたり使用されていたとされています3

刻の太鼓の復活

刻の太鼓は、1872年の廃藩置県に伴い一度途絶えましたが、2000年に土浦市市制施行60周年を記念して復活しました4。現在では、毎年6月10日から12日の「時の記念日」に合わせて、保存会によって太鼓が打ち鳴らされています5

現代の刻の太鼓

現代の刻の太鼓は、江戸時代の伝統を受け継ぎながらも、観光資源としての役割も果たしています。観光客は、亀城公園内の土浦城址で太鼓の音を楽しむことができ、歴史的な雰囲気を味わうことができます6

土浦市の観光情報

土浦市は「水の都」としても知られ、美しい湖や川が市内を流れています。霞ヶ浦は日本で二番目に大きな湖であり、釣りやボート遊びが楽しめるスポットです。また、市内には多くの歴史的建造物や文化施設があり、観光客にとって魅力的な場所となっています。

最新情報(2024年4月時点)

2024年4月時点での最新情報として、土浦市では新たな観光プロジェクトが進行中です。特に、土浦城の櫓門と刻の太鼓に関する展示やイベントが強化され、訪れる人々がより深く歴史を学び、体験できるよう工夫されています。また、インタラクティブな展示やデジタル技術を活用したガイドツアーも導入され、観光客にとって一層魅力的な体験が提供されています。

アクセスと利用案内

土浦城へのアクセスは、JR常磐線の土浦駅から徒歩約15分と非常に便利です。亀城公園内に位置する土浦城址は、観光客にとって訪れやすい場所にあります。公園内には、土浦市立博物館もあり、土浦城の歴史や文化について学ぶことができます。

まとめ

土浦城の櫓門と刻の太鼓は、江戸時代の伝統を現代に伝える貴重な文化遺産です。その歴史的背景や現代の取り組みについて詳しく知ることで、訪れる人々はより深い理解と感動を得ることができるでしょう。最新の展示やイベント情報もチェックして、ぜひ土浦市を訪れてみてください。

1: 土浦市立博物館 2: 市街地に残る数少ない関東の城 土浦城 3: 土浦城櫓門の刻の太鼓 4: 土浦城櫓門で刻の太鼓 5: 令和に響け 土浦で伝統の「刻の太鼓」 6: 土浦市観光情報 : 霞ヶ浦観光情報 : 土浦市の新観光プロジェクト : デジタルガイドツアー : 土浦市立博物館

この情報が、土浦市の魅力をさらに深く理解する一助となれば幸いです。何か他に知りたいことがあれば、遠慮なくお知らせください。


written by 水瀬次郎

オリジナル投稿:2019年4月15日