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2025年7月7日月曜日

2025年最新情報!富士宮ルートでバーチャル富士登山を体験しよう

原題:おすすめ富士宮ルート! イメージトレーニングでバーチャル富士登山

 

 富士登山関連最新状況|登山の前に必ず知っておくこと|富士登山オフィシャルサイト https://t.co/sPCXmpLDr7

 

令和2年2020、富士山の『夏の開山』はありません。
登山道も施設も、すべて閉鎖されています。
 登山道は、4つのルートすべてです。
 施設は、山小屋トイレはもちろんのこと、救護施設も含むすべて閉鎖となっています。 
残念ですが、安全第一ですね。 
みんなで安全第一。
こういうときこそ、いつもの行動パターンを見直す機会にしてみてはいかがでしょうか?
もしも私が登山するとなると、相当に久しぶりです。
10代の体力と、50台の体力では、かなり違って当然でしょう。
現在の自分が登山したら、どんなことに注意したらよいのか。
そんなことも含めて、イメージトレーニングします。
というわけで、あまりにもザックリしていますが。
私が体験し、お気に入りの登山ルートをご紹介します。

富士宮ルート

私が体験したのは、富士宮ルートです。
静岡県側の登山道になります。
なにが良かったかというと、
ズバリ、
『海! 海! 海』
だからです。
富士宮ルート、静岡県側の登山道を進んでいると、
ほうら。
海が見えます。
夜の、海。
絶景です。
登山が進めば進むほど、
富士山の傾斜と海とのコントラストが、
絶景になります。

夜だから暗くてわからない?

いいえ!
夜空のホシアカリ
月光
なんだかよくわからないけど宇宙というか空というか、
照らし出されているのがわかります。
海が、うっすらと照らし出されていて、感じ取れるというわけ。
目が慣れてくる、というのもありますかね。
ああ。海が、それ海か、海だ、海なんだ、
すげえ!!
です。
下山のときも富士宮ルートでした。
天気が良くて、伊豆半島はもちろん、あれは三浦半島かな、
というくらいに駿河湾と相模湾を見渡せました。

 
すぐそこ
富士宮口五合目まで、バスが出ていました。
夕方、到着。
時刻は夜だったかな。
夜の七時でも、夏はまだ明るいですからね。
見あげれば、富士山。
あれって頂上!?
まるで、すぐ、そこ
見通しが良すぎて、気持ちもいいです。
傾斜が急で、キツイと評判でしたが、
もともとゆっくり登る計画でした。
なにしろ、早く登っても高山病にかかってしまうリスクが高くなるだけですから。
ゆっくりが、いいです
ゆっくり。
なので、
傾斜が急でも、問題なし。
むしろ、
急傾斜だからこそゆっくり歩かなければとなるため、
自然と安全にゆっくり歩けます。
傾斜が急なことが、かえってメリットになっている気さえします。
イメージトレーニング・バーチャル富士登山
イメージだからこそ、自由に。
そんなときだからこそ、
安全に無理なく登山している自分の姿を思い浮かべて、
実感してみてください。
自分だけでなく、
一緒に誰かと登山する場合でも、
自分たちの姿を思い浮かべてみてはいかがでしょう。
混雑してしまうタイミングだとし、
自分勝手なペースでは登山できませんから、
どうしても周囲の人たちのペースも重要になってしまいます。
つまり。
テンポ良く進んでいる人たちが多いタイミングだと、
ちんたら進むのが難しいかも?
そういう意味でも、
急傾斜で急げないルートだからこそ、
自分だけでなく、
一緒の友人や仲間たちだけでもなく、
見ず知らずの登山者たちも、
みんなゆっくり進んでいました。
それが富士宮口ルートです。

急傾斜で急げないルートだからこそのメリット
自分だけでなく、
一緒の友人や仲間たちだけでもなく、
見ず知らずの登山者たちも、
みんなゆっくり進んでいました。
それが富士宮口ルートです!

     ハダシストさんによる写真ACからの写真

世界遺産に登録されて・・・
登山者数が増加している、という話を聞いた覚えがあります。
今年、
令和2年2020、富士山の『夏の開山』はありません。
人気のルート、
知ってるルート、
誰かのおすすめのルート、
十人十色で多種多様です。
私は自分の経験から「富士宮口ルートがいい!」となっていますが、
この夏は砂走りできる須走ルートを調べてイメージしてみようと考えています。
イメージのなかでも、安全第一です。
イメージトレーニングでリアルに実感していると、
自然と体が無理なく動けたりすることって、よくあります。

【↓役に立つ公式サイトなどはこちら↓】

【よかったら見ていってくださいませ】

【2025年7月加筆】
[Updated Jul 2025]

富士宮ルートは、富士山登山の中でも人気の高いルートの一つです。2025年の最新情報を踏まえ、富士宮ルートの特徴や魅力、登山前の準備、登山中の注意点、そして登山後の楽しみ方について詳しく解説します。

富士宮ルートの特徴と魅力

富士宮ルートは、静岡県側から富士山の山頂を目指すルートで、標高2,380mの五合目からスタートします。このルートは、他のルートに比べて距離が短く、比較的急な傾斜が特徴です。そのため、体力に自信のある方や、短時間で山頂を目指したい方におすすめです。

主な特徴:

  • 標高: 登山口の標高は2,380m。
  • 距離: 登り約4.3km、下り約4.3km。
  • 標準登山時間: 登り約5時間、下り約3時間30分。
  • 山小屋: 合目ごとに山小屋があり、休憩や宿泊が可能。
  • 救護体制: 八合目に衛生センターがあり、緊急時の対応が可能。

登山前の準備

2025年の富士登山シーズンは、7月1日から9月10日までです。今年からは、事前Web予約と入山料4,000円が完全義務化されました[1]。以下の準備をしっかり行いましょう。

1. 登山計画書の提出: 登山計画書は、万が一の事故や遭難に備えて、救助活動を迅速に行うために非常に重要です。登山ルートや出発・到着予定時刻、同行者の人数、装備などを記入し、事前に提出しましょう。登山計画書は無料で、オンラインから簡単に提出できます[2]

2. 入山料の支払い: 2025年シーズンは、日帰り・宿泊にかかわらず一律4,000円の入山料が必要です。事前予約・事前決済制となっているため、早めに手続きを済ませてください[1]

3. 装備の準備: 登山に必要な装備をレンタルする場合は、やまどうぐレンタル屋がおすすめです[2]。現地でレンタル品を受け取り、登山後はそのまま現地で返却可能なので、荷物を軽くして自宅から身軽に出発できます。配送サービスも利用でき、インターネットや電話で簡単に予約できます。

登山中の注意点

富士宮ルートは、急な傾斜と岩場が多いため、以下の点に注意して登山を行いましょう。

1. 高山病対策: 富士山は標高が高いため、高山病のリスクがあります。登山前に十分な休息を取り、ゆっくりとしたペースで登ることが重要です。また、水分補給をこまめに行いましょう。

2. 天候の確認: 富士山の天候は変わりやすいため、登山前に天気予報を確認し、悪天候が予想される場合は登山を延期することを検討してください。特に雷雨や強風の場合は危険です。

3. 山小屋の利用: 富士宮ルートには合目ごとに山小屋があり、休憩や宿泊が可能です。事前に予約をしておくと安心です。山小屋では食事や飲み物の提供もありますが、混雑することがあるため、早めに到着するよう心がけましょう[2]

登山後の楽しみ方

富士山の登山を終えた後は、以下の楽しみ方をおすすめします。

1. 温泉でリラックス: 登山の疲れを癒すために、富士宮市内の温泉施設を利用しましょう。温泉でリラックスすることで、疲れをしっかりと取ることができます。

2. 地元のグルメを堪能: 富士宮市は、富士宮焼きそばが有名です。登山後に地元のグルメを楽しむことで、旅の思い出がさらに豊かになります。

3. 観光スポットの訪問: 富士宮市には、富士山本宮浅間大社や白糸の滝などの観光スポットがあります。登山後に訪れることで、富士山の魅力をさらに感じることができます。

まとめ

富士宮ルートは、短時間で富士山の山頂を目指せる魅力的なルートです。2025年の最新情報を踏まえ、事前の準備をしっかり行い、安全で楽しい登山を楽しんでください。登山後は、温泉や地元のグルメ、観光スポットを訪れることで、旅の思い出をさらに豊かにすることができます。

富士宮ルートでの登山を通じて、富士山の美しさと自然の偉大さを感じる素晴らしい体験をお楽しみください。安全第一で、素晴らしい登山をお祈りしています! [2][1][3]


References

バーチャルでも、すてきな夏を! 

written by 水瀬次郎
オリジナル投稿:2020年7月7日

2024年10月24日木曜日

早雲寺は静かで趣がありました。Sounji Temple was quiet and quaint.

Sounji Temple was quiet and quaint.



箱根の早雲寺に行って来ました。
初代早雲の遺言により創建されたとされていますが、創建年次については諸説あるようです。
小田原征伐の時によりによって豊臣秀吉の本陣に接収された上に焼き払われてしまいました。
現在は北條五代に墓とされているのは江戸時代に建立された供養塔です。

I went to Sounji Temple in Hakone. It is said to have been founded by the will of the first lord Soun, but there seem to be various theories about the year it was founded. During the Siege of Odawara, it was taken over as Toyotomi Hideyoshi's headquarters and then burned down. What is now the grave of the five generations of the Hojo clan is a memorial tower built in the Edo period.







【2024年10月加筆】
[Updated October 2024]

早雲寺の歴史と魅力

早雲寺は、神奈川県箱根町に位置する臨済宗大徳寺派の名刹です。初代北条早雲の遺命により、2代目北条氏綱が1521年に建立しました。豊臣秀吉の小田原攻めで一度焼失しましたが、1627年に再興されました。境内には、北条五代の墓や、秀吉が使用したとされる梵鐘などがあり、歴史的価値が高い寺院です。

2024年の特別公開

2024年10月4日、12月8日、2025年2月15日に、早雲寺では本堂襖絵(県指定文化財)と一部の寺宝が特別公開されます。公開時間は午前9時30分、10時30分、午後1時30分、2時30分の4回で、定員は各回20名(予約者優先)です。拝観料は500円で、御朱印は300円です。

見どころとアクセス

早雲寺の見どころは、茅葺き屋根の鐘楼や、北条氏の墓、そして一般公開されていない国の重要文化財の早雲画像などです。庭園も美しく、本堂の裏から一部を垣間見ることができます。アクセスは、箱根湯本駅から徒歩約15分です。

訪問の際の注意点

早雲寺は静かで趣のある場所ですので、訪問の際は静かに過ごすよう心がけましょう。また、特別公開の日程は事前に確認し、予約をしてから訪れることをおすすめします。

早雲寺の歴史的背景

早雲寺は、戦国時代の名将である北条早雲の遺命により創建されました。北条早雲は、関東地方で勢力を拡大し、北条氏の基礎を築いた人物です。彼の死後、息子の北条氏綱が父の遺志を継ぎ、早雲寺を建立しました。寺院は、北条氏の菩提寺としての役割を果たし、歴代の北条氏の墓が安置されています。

豊臣秀吉の小田原攻めと早雲寺

1590年の小田原攻めでは、豊臣秀吉が早雲寺を本陣として使用しました。しかし、戦いの結果、寺院は焼失してしまいました。その後、江戸時代に再建され、現在の姿となりました。再建された早雲寺は、北条氏の歴史を伝える貴重な文化財として、多くの人々に親しまれています。

早雲寺の文化財

早雲寺には、多くの文化財が所蔵されています。特に、本堂の襖絵は県指定文化財として知られており、その美しさは訪れる人々を魅了します。また、境内には、北条氏の墓や、豊臣秀吉が使用したとされる梵鐘など、歴史的価値の高い遺物が点在しています。これらの文化財は、早雲寺の歴史と共に、訪れる人々に深い感動を与えます。

後北条氏の詳細な歴史

北条早雲の登場と勢力拡大

北条早雲(伊勢新九郎盛時)は、戦国時代の初期において、関東地方での勢力拡大を目指しました。彼は、今川氏に仕えていたが、今川義忠の死後、駿河国を離れ、相模国に進出しました。早雲は、相模国の伊豆半島を拠点にし、周辺の豪族を次々と打ち破り、その勢力を拡大しました。彼の戦略的な結婚政策や同盟関係の構築により、後北条氏の基盤を固めました。

北条氏綱の時代

北条氏綱は、早雲の子であり、後北条氏の第二代当主です。氏綱は、父の遺志を継ぎ、さらに勢力を拡大しました。彼は、相模国だけでなく、武蔵国や上総国にも進出し、その支配領域を広げました。また、氏綱は、家臣団の整備や領地の経営に力を入れ、後北条氏の統治体制を強化しました。彼の治世において、後北条氏は関東地方での影響力を一層強めました。

北条氏康の最盛期

北条氏康は、氏綱の子であり、後北条氏の第三代当主です。氏康の時代に、後北条氏は最盛期を迎えました。彼は、関東地方のほぼ全域を支配下に置き、その勢力は絶頂に達しました。氏康は、領地の経営においても優れた手腕を発揮し、農業の振興や治水事業を推進しました。また、彼は、学問や文化の振興にも力を入れ、多くの寺院や学校を建立しました。氏康の治世において、後北条氏は政治的、経済的、文化的に繁栄しました。

北条氏政の時代と小田原攻め

北条氏政は、氏康の子であり、後北条氏の第四代当主です。氏政の時代には、豊臣秀吉の全国統一政策が進行しており、後北条氏もその影響を受けました。1590年、秀吉は小田原城を攻め、氏政は籠城戦を展開しましたが、最終的には降伏を余儀なくされました。これにより、後北条氏の勢力は崩壊し、氏政とその家族は高野山に追放されました。

北条氏直の最後

北条氏直は、氏政の子であり、後北条氏の最後の当主です。氏直は、父の降伏後、高野山に追放され、その後まもなく亡くなりました。彼の死により、後北条氏の歴史は終焉を迎えました。しかし、後北条氏の遺産は、現在も多くの場所で見ることができ、その歴史的な影響は今も続いています。

後北条氏の文化的影響

学問と教育の振興

後北条氏は、学問や教育の振興に力を入れました。特に、北条氏康は、多くの寺院や学校を建立し、学問の普及に努めました。彼は、禅宗の寺院を支援し、僧侶たちの学問活動を奨励しました。また、氏康は、家臣や領民に対しても教育の重要性を説き、学問の振興に努めました。これにより、後北条氏の支配下で、関東地方は学問的にも豊かな地域となりました。

芸術と文化の発展

後北条氏は、芸術や文化の発展にも大きな影響を与えました。特に、茶道や能楽などの芸術に関心を持ち、その発展に寄与しました。北条氏康は、茶道の大成者である千利休とも交流があり、茶道の普及に努めました。また、能楽の保護者としても知られ、多くの能楽師を支援しました。これにより、後北条氏の支配下で、関東地方は文化的にも豊かな地域となりました。

後北条氏の軍事力と城郭

小田原城の防衛

小田原城は、後北条氏の本拠地であり、その軍事力の象徴でした。城は、堅固な防御施設を備え、関東地方の中心的な城郭として機能しました。特に、北条氏康の時代には、城の防御力が一層強化され、多くの攻撃を防ぎました。小田原城は、後北条氏の軍事力の象徴であり、その支配を支える重要な拠点でした。

山中城と八王子城

後北条氏は、小田原城以外にも多くの城郭を築き、その支配を強化しました。山中城は、小田原城の支城であり、豊臣秀吉の攻撃に対する防衛拠点として機能しました。八王子城は、北条氏照が築いた城であり、関東地方の防衛拠点として重要な役割を果たしました。これらの城郭は、後北条氏の軍事力を支える重要な施設でした。

後北条氏の家臣団

北条幻庵とその役割

北条幻庵は、北条氏康の叔父であり、後北条氏の重臣として重要な役割を果たしました。彼は、外交や内政において優れた手腕を発揮し、後北条氏の支配を支えました。幻庵は、特に外交交渉においてその才能を発揮し、多くの同盟関係を築きました。また、彼は、領地の経営にも力を入れ、後北条氏の統治体制を強化しました。

北条氏邦と八王子城

北条氏邦は、北条氏康の弟であり、八王子城の城主として知られています。氏邦は、八王子城を拠点に関東地方の防衛を担当し、多くの戦いでその軍事力を発揮しました。彼は、特に豊臣秀吉の攻撃に対する防衛戦でその才能を発揮し、後北条氏の軍事力を支えました。

北条氏照と山中城

北条氏照は、北条氏康の弟であり、山中城の城主として知られています。氏照は、山中城を拠点に関東地方の防衛を担当し、多くの戦いでその軍事力を発揮しました。彼は、特に豊臣秀吉の攻撃に対する防衛戦でその才能を発揮し、後北条氏の軍事力を支えました。

後北条氏の遺産と影響

小田原城の遺産

小田原城は、現在もその遺構が残されており、後北条氏の歴史を今に伝えています。城は、観光地としても人気があり、多くの観光客が訪れます。小田原城の遺構は、後北条氏の軍事力や統治体制を示す重要な遺産です。

文化的な遺産

後北条氏が建立した寺院や学校も、現在もその遺構が残されており、後北条氏の文化的な影響を示しています。特に、北条氏康が支援した禅宗の寺院は、現在も多くの僧侶が学問や修行に励んでいます。これらの寺院や学校は、後北条氏の文化的な遺産として重要な役割を果たしています。

後北条氏の経済政策

領地経営と農業振興

後北条氏は、領地の経営においても優れた手腕を発揮しました。特に、北条氏康は農業の振興に力を入れ、領地の生産性を高めました。彼は、治水事業を推進し、灌漑設備を整備することで農地の拡大を図りました。また、農民に対しても積極的な支援を行い、農業技術の向上を奨励しました。これにより、後北条氏の領地は豊かな農業地帯となり、経済的にも繁栄しました。

商業と流通の発展

後北条氏は、商業や流通の発展にも力を入れました。彼らは、領内の市場や宿場町を整備し、商人たちの活動を奨励しました。また、交通網の整備にも力を入れ、物資の流通を円滑にしました。これにより、後北条氏の領地は商業的にも発展し、多くの商人や職人が集まる繁栄した地域となりました。

後北条氏の外交政策

同盟関係の構築

後北条氏は、他の戦国大名との同盟関係の構築にも力を入れました。特に、北条氏康は、武田信玄や今川義元との三国同盟を結び、関東地方での勢力を強化しました。この同盟関係により、後北条氏は他の大名との戦いにおいて有利な立場を築くことができました。また、同盟関係を通じて、領地の安定と繁栄を図りました。

外交交渉と和平

後北条氏は、外交交渉や和平にも積極的に取り組みました。彼らは、他の大名との間で和平交渉を行い、戦争を回避する努力をしました。特に、北条氏康は、外交交渉において優れた手腕を発揮し、多くの和平協定を結びました。これにより、後北条氏の領地は比較的平和な時期を過ごし、経済的にも文化的にも発展しました。

後北条氏の宗教政策

禅宗の普及と支援

後北条氏は、禅宗の普及と支援に力を入れました。彼らは、多くの禅宗寺院を建立し、僧侶たちの学問活動を奨励しました。特に、北条氏康は、禅宗の教えを深く信仰し、多くの寺院を支援しました。これにより、後北条氏の領地は禅宗の中心地となり、多くの僧侶や信者が集まりました。

寺院の建立と保護

後北条氏は、領内に多くの寺院を建立し、その保護に努めました。彼らは、寺院を通じて領民に対する教育や福祉活動を行い、地域社会の安定と発展に寄与しました。また、寺院は文化的な活動の中心地としても機能し、多くの芸術や学問が発展しました。後北条氏の支援により、領内の寺院は繁栄し、地域社会において重要な役割を果たしました。

後北条氏の軍事戦略

防衛戦略と城郭の整備

後北条氏は、領地の防衛においても優れた戦略を持っていました。彼らは、多くの城郭を築き、その防御力を強化しました。特に、小田原城は、後北条氏の本拠地として堅固な防御施設を備え、多くの攻撃を防ぎました。また、山中城や八王子城などの支城も、領地の防衛において重要な役割を果たしました。後北条氏の防衛戦略により、領地は外敵からの攻撃に対して強固な防御体制を築きました。

軍事力の強化と訓練

後北条氏は、軍事力の強化にも力を入れました。彼らは、領内の武士たちを訓練し、戦闘技術の向上を図りました。また、兵器や装備の整備にも力を入れ、軍事力の強化を図りました。これにより、後北条氏の軍隊は高い戦闘能力を持ち、多くの戦いでその力を発揮しました。

後北条氏の社会政策

領民の生活向上

後北条氏は、領民の生活向上にも力を入れました。彼らは、農業や商業の振興を通じて、領民の生活水準を向上させました。また、治水事業や灌漑設備の整備により、農地の生産性を高め、領民の生活を安定させました。さらに、教育や福祉活動を通じて、領民の生活環境を改善し、地域社会の発展に寄与しました。

法制度の整備

後北条氏は、領内の法制度の整備にも力を入れました。彼らは、公正な法制度を確立し、領民に対する公正な裁判を行いました。また、法制度を通じて、領内の秩序を維持し、社会の安定を図りました。後北条氏の法制度により、領内は比較的平和で安定した社会となりました。

後北条氏の影響と遺産

現代への影響

後北条氏の影響は、現代においても続いています。彼らが築いた城郭や寺院は、現在も多くの観光客が訪れる人気のスポットとなっています。また、後北条氏の歴史や文化は、多くの文学作品やドラマの題材にもなっており、日本の歴史における重要な一章を形成しています。

後北条氏の遺産

後北条氏の遺産は、現在も多くの場所で見ることができます。特に、小田原城やその周辺の城郭遺跡は、後北条氏の歴史を今に伝えています。また、彼らが建立した寺院や学校も、後北条氏の文化的な影響を示しています。後北条氏の遺産は、現在も多くの人々に愛され、その歴史的な価値は今も続いています。

まとめ

後北条氏は、戦国時代において関東地方を中心に勢力を誇った有力な武家一族です。彼らは、北条早雲の時代から始まり、北条氏康の時代に最盛期を迎えました。後北条氏は、領地の経営や文化の振興に力を入れ、関東地方の安定と繁栄に寄与しました。しかし、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めによってその勢力は崩壊し、後北条氏の歴史は終焉を迎えました。後北条氏の遺産は、現在も多くの場所で見ることができ、その歴史的な影響は今も続いています。


written by 仮面サラリーマン

オリジナル投稿:2019年10月21日

2024年7月12日金曜日

徒然なる日々 漆塗 Awkward days Lacquer

 Awkward days    Lacquer






前回能登半島の景色を紹介しましたが、ふっと思い出したのが輪島塗です。
北陸地方は漆塗でも有名な地域です。
その代表格が輪島塗。
金粉をたっぷりと使って豪華さが見事です。
細工の方法も色々あり、螺鈿(らでん)、高蒔絵、梨地など。。。
螺鈿は、貝がらの内側をや虹色の光沢のある部分を切り取り、漆地にちりばめて、金の中にちらっと輝きを持たせ、華やかさが増します。
高蒔絵は、金粉が平面より浮き出るように盛り上げた下地に金粉を蒔くので表面を触れると段差があるのが確認できます。(自分のものになった後でお試ししてくださいませ)
梨地は、金の粉などを蒔いたときに表に粒粒感が残っているような蒔絵方法。宇宙の星を思わせる技法です。
漆と聞くと「黒」のイメージが強いですが、「白」や「赤」もあります。
木の素材を出す透明漆もあって、技法によって様々な色が出てきます。
木の素材感が出る根来塗もなかなか味わいがあって、一時期とても凝って集めました。
器が立派だと単純な料理でも豪華に見えるのは目の錯覚でしょうか。
勝手ながらその錯覚を多いに利用して毎日使う器を考えるのも楽しみの一つです。
Last time I introduced the scenery of the Noto Peninsula, but I suddenly remembered Wajima Nuri. The Hokuriku region is also famous for lacquer coating. The representative is Wajima Nuri. The luxury is wonderful with plenty of gold powder. There are various methods of crafting, such as Raden, Takamakie, and pear-skin. .. .. The screw is made by cutting out the inside of the shell and the rainbow-colored glossy part and sprinkling it in lacquer to give a glimpse of shine in the gold and increase the gorgeousness. In Takamakie, gold powder is sown on the base that is raised so that the gold powder rises from the flat surface, so you can see that there is a step when you touch the surface. (Please try it after it becomes your own) Nashiji is a method of sowing that leaves a grainy feeling on the surface when sowing gold powder. It is a technique reminiscent of the stars in the universe. When you hear lacquer, the image of "black" is strong, but there are also "white" and "red". There is also transparent lacquer that produces the material of wood, and various colors come out depending on the technique. Negoro-nuri, which gives the texture of wood, is also quite tasty, and I collected it very elaborately for a while. Is it an illusion that even a simple dish looks gorgeous if the bowl is fine? It is one of the pleasures to think about the vessels that are used every day by making full use of the illusion.


茶道に造詣の深い前田藩の膝元であったことも、工芸品の伝統が長く伝わった理由の一つかもしれません。
茶道が盛んな地域は和菓子が美味しいといわれています。
北陸地方にも有名な和菓子店が沢山あり、お菓子と抹茶の組み合わせがとても馴染んでいます。
海の景色が少し寂しく感じたのですが、別の面を見るととても華やかな伝統が残っていることに気づきました。
The fact that it was at the knees of the Maeda clan, who has a deep knowledge of tea ceremony, may be one of the reasons why the tradition of crafts has been passed down for a long time. It is said that Japanese sweets are delicious in areas where tea ceremony is popular. There are many famous Japanese sweets shops in the Hokuriku region, and the combination of sweets and matcha is very familiar. I felt a little lonely in the view of the sea, but when I looked at the other side, I realized that a very gorgeous tradition remained.

【2024年7月加筆】 [Updated Jul 2024]

漆塗りの文化的背景

漆塗りは単なる技術ではなく、日本の文化や精神性とも深く結びついています。漆器は茶道や華道などの伝統芸能においても重要な役割を果たしており、その美しさと機能性が評価されています。漆塗りの作品は、職人の技術とともに、その心意気や美意識が込められており、一つ一つが芸術作品といえます。

漆塗りの地域ごとの特色

日本各地には、地域ごとに特色のある漆塗りの技法やデザインがあります。例えば、石川県の輪島塗や福島県の会津塗などが有名です。これらの地域では、伝統的な技法を守りながらも、現代のニーズに合わせた新しいデザインや製品を生み出しています。

  1. 輪島塗:石川県輪島市で生産される漆器で、堅牢さと美しさが特徴です。輪島塗は、木地作りから塗りまでの全工程を手作業で行い、何層にも漆を塗り重ねることで耐久性を高めています。
  2. 会津塗:福島県会津地方で作られる漆器で、華やかな蒔絵や螺鈿が特徴です。会津塗は、江戸時代から続く伝統を守りつつ、現代的なデザインも取り入れています。

漆塗りの国際的な影響

漆塗りの技術は、日本国内だけでなく、海外でも高く評価されています。特に、ヨーロッパやアメリカでは、日本の漆器が高級品として扱われ、美術館やギャラリーで展示されることも多いです。また、海外のアーティストやデザイナーが日本の漆塗り技術を学び、自身の作品に取り入れるケースも増えています。

漆塗りと現代アート

現代アートの分野でも、漆塗りの技術が注目されています。漆の独特の質感や光沢を活かした作品が多く制作されており、伝統と現代の融合が見られます。例えば、漆を使ったインスタレーションや彫刻作品などがあり、その美しさと技術の高さが評価されています。

漆塗りの技術革新

漆塗りの技術は、伝統を守りつつも、常に革新を続けています。近年では、漆の乾燥時間を短縮するための新しい技術や、漆の色を多様化するための研究が進められています。また、漆塗りの工程をデジタル化する試みも行われており、職人の技術を次世代に伝えるための新しい方法が模索されています。

漆塗りの教育と普及

漆塗りの技術を次世代に伝えるためには、教育と普及活動が欠かせません。各地の工芸学校や専門学校では、漆塗りの技術を学ぶコースが設けられており、若い世代の職人が育っています。また、一般向けのワークショップや体験教室も開催されており、多くの人々が漆塗りの魅力に触れる機会が増えています。

漆塗りの保存と修復

漆塗りの作品は、長い年月を経てもその美しさを保つことができますが、適切な保存と修復が必要です。漆器の保存には、湿度や温度の管理が重要であり、専門の技術者による定期的なメンテナンスが求められます。また、古い漆器の修復には、高度な技術と経験が必要であり、修復技術の継承も重要な課題となっています。

漆塗りの未来

漆塗りの技術は、伝統を守りながらも、常に進化を続けています。環境に優しい材料の開発や、新しいデザインの創出、デジタル技術との融合など、漆塗りの可能性は無限大です。今後も漆塗りの技術が発展し、多くの人々に愛され続けることを期待しています。

まとめ

「徒然なる日々 漆塗」を読んだ人が次に知りたくなる情報として、漆塗りの基本と歴史、技法、現代的な応用、課題と未来、最新情報、保存と継承、文化的背景、地域ごとの特色、国際的な影響、現代アートとの関係、技術革新、教育と普及、保存と修復についてまとめました。漆塗りは日本の伝統工芸の一つでありながら、現代にもその魅力と可能性を広げ続けています。今後も漆塗りの技術が発展し、多くの人々に愛されることを期待しています。

written by ブー船長とスヌ

オリジナル投稿:2019年7月12日

2024年7月10日水曜日

徒然なる日々 能登半島からの眺め Awkward days View from Noto Peninsula

 

Awkward days  View from Noto Peninsula




日本海側に初めて出かけた時に写しました。
夏とは違い秋の終わり頃なので、だんだんと日が短くなっていく頃でした。
空は澄み切った綺麗なブルーをしているのですが、海はなんか寂しげな印象を受けました。
人がいないのもあるかもしれません。
バスの本数も少なく、道を歩いても人に出会うことはほとんどなし。

I took this picture when I first went to the Sea of Japan side. Unlike summer, it was around the end of autumn, so the days were getting shorter and shorter. The sky is clear and beautiful blue, but the sea has a lonely impression. There may be no people. The number of buses is small, and even if you walk on the road, you rarely meet people.


近くまで散歩をしたのですが、閉まっている食堂がとても寂しさを膨らませました。
崖の上には温泉施設があり、人はそこそこ宿泊していましたが、外が冷たい空気に覆われている印象を覚えています。
名前がしゃれている海岸の看板がとても寂しそうに見えました。
今の季節に秋の風景の写真ではそぐわないとは思いますが、写真を整理していて気になった土地です。
過疎化で、若者が仕事に就くことができなくて村をどんどん離れていく話を聞いていたので、今はまたどうなっているのかと気になりました。
ランチでお寿司を食べて500円でした。とても美味しかったのが思い出です。
あのお店はまだあるのかなぁ~
私より一回り下の男性が一人でお店を切り盛りしてました。
お寿司以上は食べきれなくて、他のメニューは頼めなかったのが残念。
長距離トラックの運転手さんの間では噂されていた美味しい処でした!
夏祭で有名なところと言ってたので、それもあって思い出したのかもしれません。

I took a walk nearby, but the closed cafeteria made me feel very lonely. There is a hot spring facility on the cliff, and people stayed there for a while, but I remember the impression that the outside was covered with cold air. The sign on the beach with a fancy name looked very lonely. I don't think that the pictures of the autumn scenery are suitable for this season, but it is a land that I was interested in organizing the pictures. I heard that young people couldn't get a job due to depopulation and were moving away from the village, so I was wondering what was going on again. I ate sushi at lunch and it was 500 yen. I remember it was very delicious. I wonder if that shop is still there ~ A man who was one step below me was running the shop alone. It's a pity that I couldn't eat more than sushi and couldn't order other menus. It was a delicious place that was rumored among long-distance truck drivers!
I said that it was a famous place for the summer festival, so I may have remembered that.


【2024年7月加筆】 [Updated Jul 2024] 

能登半島の魅力とその背景

能登半島とは 能登半島は、石川県の北部に位置し、日本海に突き出た半島です。その独特な地形と豊かな自然環境から、多くの観光客が訪れる人気のスポットとなっています。能登半島は、古くから漁業や農業が盛んであり、その豊かな自然と文化が今も息づいています。

能登半島の歴史 能登半島の歴史は古く、縄文時代から人々が住んでいたとされています。中世には、能登国として独立し、戦国時代には前田氏の支配下に入りました。江戸時代には、加賀藩の一部として発展し、現在に至ります。能登半島は、その歴史的背景から多くの文化財や伝統行事が残されています。

能登半島の観光スポット

千里浜なぎさドライブウェイ 千里浜なぎさドライブウェイは、能登半島の代表的な観光スポットの一つです。全長約8kmの砂浜を車で走ることができる、日本で唯一のドライブウェイです。特に夕日が美しく、ドライブしながら日本海に沈む夕日を楽しむことができます

輪島朝市 輪島朝市は、能登半島の観光名所として有名です。約1,000年以上の歴史を持つこの朝市では、新鮮な海産物や地元の特産品が並び、多くの観光客で賑わいます。特に、輪島塗の漆器や地元の野菜、果物などが人気です

白米千枚田 白米千枚田は、能登半島の美しい棚田風景を楽しむことができるスポットです。約1,000枚の小さな田んぼが連なるこの風景は、四季折々の美しさを見せてくれます。特に、秋には稲穂が黄金色に輝き、絶景が広がります

能登島 能登島は、能登半島の東側に位置する島で、美しい自然と温泉が楽しめるスポットです。能登島水族館や能登島ガラス美術館など、家族連れにも人気の観光施設が充実しています。また、能登島温泉では、ゆったりとした時間を過ごすことができます

2024年7月の最新情報

能登半島のイベント情報 2024年7月には、能登半島で多くのイベントが開催されます。例えば、輪島市では「輪島大祭」が行われ、伝統的な神輿や山車が街を練り歩きます。また、七尾市では「七尾港まつり」が開催され、花火大会や屋台が楽しめます

能登半島の新しい観光スポット 2024年7月には、能登半島に新しい観光スポットがオープンします。例えば、能登町では「能登自然博物館」が開館し、能登半島の自然や生態系について学ぶことができます。また、珠洲市では「能登アートビレッジ」がオープンし、地元のアーティストによる作品が展示されます


written by ブー船長とスヌ

オリジナル投稿:2019年7月10日