4月8日に日産の臨時株主総会に行ってきました。
・第1号議案 取締役カルロス ゴーン解任の件
・第2号議案 取締役グレック ケリー解任の件
・第3号議案 第1号議案承認を条件としてジャンドミニク スナール氏を取締役に選任する件
の3つの議案は全て承認されました。午前10時から午後1時まで3時間でした。
「経営陣は総退陣せよ」という意見もありましたが、予測したより荒れなかったです。「ゴーンの暴走を何故許したのか?」という疑問には明らかにされませんでした。印象に残ったのは「ゴーンに退職金や慰労金は支払われるのか?」という質問に西川社長が「払いたくない」と明言した時に、株主から笑いが起きたのが印象に残りました。 【2026年4月加筆】 [Updated Spr 2026]カルロス・ゴーン解任から7年――日産は何を失い、何を取り戻せなかったのか(2026年視点) 2019年4月8日。 しかし、2026年の今から振り返ると、 この追加パートでは、 解任は「正義」だったのか、それとも「象徴」だったのか2019年当時、 代わりに起きたのは、 ・責任の所在を個人に集約する動き でした。 西川社長の「払いたくない」という発言に しかしそれは、 解任後の日産は「蘇った」のか結論から言えば、 ・世界販売台数の長期低迷 これらを総合すると、 ルノーとの関係は「対等」になったのかゴーン解任以降、 ・資本関係の見直し しかし、 対等になった代わりに、 ・意思決定は遅く が定着した側面も否定できません。 「ガバナンス改善」は本当に進んだのかゴーン事件は、 日産も ・取締役会の透明化 などを進めました。 しかし現場レベルでは、 「失敗しないことが最大の評価」 という空気が強まり、 これは皮肉にも、 ゴーン逃亡が決定的に変えたもの2019年末のゴーン被告の国外逃亡は、 ・司法制度への国際的批判 しかし日産自身にとっては、 議論は終わり、 株主総会で感じた「違和感」の正体2019年の臨時株主総会で それは、 ・株主が納得したからではなく とも解釈できます。 「ゴーンを切った」ことで この違和感こそが、 2026年の視点で読み直す、あの日の意味2026年4月7日時点で言えるのは、 あの日の臨時株主総会は ・なぜ権力が集中したのか これらの問いに、 終わりに:解任はゴールではなかったカルロス・ゴーンの解任は、 しかしそれだけでは、 リーダーを失った後に問われるのは、 ・誰が次に責任を負うのか その覚悟でした。 2019年4月8日の株主総会は、
written by 仮面サラリーマン オリジナル投稿:2019年4月8日
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2019年4月8日月曜日
カルロス・ゴーン解任から7年|あの日の株主総会で語られなかった「日産の答え合わせ」
2019年4月2日火曜日
令和号外はなぜ3200円になったのか——新元号「令和」狂想曲と、記念が市場に変わる時代
ヤフーオークションでは、発表から24時間後の4月2日の11時30分までに107個分の「号外」の落札が確認出来ました。
落札値の中心線は1000円でした。最高額は3200円でした。1人で9個も出品している人もいましたが、落札額の合計は133,209円でした。ひとつだけはっきりしているのは、落札価格の8.64%がシステム手数料としてヤフーの収益となったことです。めでたしめでたし。
【2026年4月加筆】
[Updated Spr 2026]
「号外狂想曲」から7年──あの3200円は高かったのか、安かったのか
2019年4月1日。
新元号「令和」が発表されたその日、日本中が一種の祝祭空間に包まれました。
テレビ局の中継、SNSの実況、駅前で配られる号外。
そして、翌日にはネットオークションに並ぶ大量の「令和号外」。
元記事が冷静に切り取った通り、
発表直後から24時間で107件の落札、中央値は1000円、最高額は3200円。
最も確実に儲けたのは、システム手数料を受け取ったプラットフォームだった、というオチまで含めて、
あの時代の空気をよく表しています。
では、あれから7年経った今、
あの「号外狂想曲」はどう見えるのでしょうか。
「記念」は本当に価値を持ったのか
まず結論から言えば、
2019年4月1日の号外は、投資対象としては完全に失敗でした。
2026年現在、フリマアプリやオークションサイトを定点観測すると、
- 未使用・保存状態良好の号外でも数百円前後
- 送料込みで赤字になるケースも多い
- 実際に売れているのは「額装済み」「解説付き」など付加価値商品
という状態です。
つまり、
「令和号外そのもの」に希少価値が生まれたわけではなく、
思い出や文脈をどう再編集するかが問われる対象になっています。
なぜ人は「号外」を奪い合ったのか
冷静に考えれば、新元号の号外は、
- 情報としては即座にネットで得られる
- 発行部数は膨大
- 保存性も高くない
それでも人々は、
配布場所に殺到し、
オークションに出品し、
「今しか手に入らない」と感じました。
これは経済合理性では説明できません。
鍵は、同時代性です。
- その瞬間に立ち会った証
- テレビの向こう側ではなく、現場にいたという実感
- 「歴史の当事者」になったという錯覚
号外は、紙切れであると同時に、
参加証明書だったのです。
2020年代、「紙の号外」は完全に役割を終えたのか
2026年現在、
災害時・政治的節目・大事件において、
紙の号外が配られる機会は激減しました。
理由は明確です。
- スマホ通知の即時性
- SNSによる拡散力
- 印刷・配布コストの問題
- 人が集まること自体のリスク
では、紙の号外は不要になったのか。
答えは「情報としては不要、体験としては代替不能」です。
デジタルでは、
- 手に取れない
- 保存しても「そこにあった感覚」が残らない
- 偶然の出会いが起きにくい
号外を受け取る行為そのものが、
すでに儀式だったのだと、7年経ってようやく分かります。
転売は悪だったのか
当時も、
「号外を転売するのはどうなのか」
という声はありました。
しかし、2026年の視点から見れば、
あれは極めて象徴的な出来事でした。
- 無料配布物が即座に市場に乗る
- 感情が価格に変換される
- プラットフォームだけが確実に利益を得る
これは、
後のマスク転売、限定グッズ、NFTブーム、生成AI素材販売へと
一本の線でつながっています。
号外は、
「善悪以前に、そうなる社会」への予告編だったのです。
「令和」という時代が、価値観を変えた
2019年当時、
「令和」は、
- 穏やか
- 調和
- 日本的
といった言葉で語られました。
しかし7年を経て振り返ると、
この時代はむしろ、
- 不確実性
- 分断
- 価値の流動化
が常態化した時代でした。
だからこそ、
人々は「形のあるもの」にすがった。
号外は、
不安定な未来に対する、
一瞬の固定点だったのです。
3200円は、結局いくらだったのか
最高額3200円。
今となっては高くも安くも感じられます。
- 金銭的価値としては、ほぼゼロに近づいた
- 体験の対価としては、むしろ安かった
- 社会の空気を可視化したデータとしては、非常に高価
あの3200円は、
紙ではなく、
2019年4月1日の熱狂そのものに支払われた金額でした。
次に起きる「号外狂想曲」は、もう紙ではない
もし次に、
- 新しい元号
- 歴史的な制度転換
- 国家レベルの大きな節目
が訪れたとしても、
同じ形の狂想曲は起きないでしょう。
代わりに起きるのは、
- デジタル限定配布
- 記念データの即転売
- アクセス権や体験権の価格化
です。
つまり、
「記念」が最初から市場として設計される時代です。
その意味で、
2019年の号外狂想曲は、
最後の「無邪気な熱狂」だったのかもしれません。
めでたし、めでたし。の本当の意味
元記事は、
「ひとつだけはっきりしているのは、
落札価格の8.64%がシステム手数料としてヤフーの収益となったこと」
と締めています。
7年後の今、その一文はさらに重みを増しています。
- 感情が動く
- 人が集まる
- 市場が生まれる
- プラットフォームが儲かる
この構図は、今も変わっていません。
だからこそ、
あの号外は、
単なる紙切れではなく、
令和という時代の縮図だったと言えるのです。
めでたし、めでたし。
――本当にそう言えるかどうかを考えるところまで含めて。
2019年4月1日月曜日
5センチ伸びた気がした朝——エイプリルフールの小さな嘘が、いつの間にか本音になっていた
原題:「5センチ」
【2026年4月加筆】
[Updated Spr 2026]
「5センチ」は、本当に嘘だったのか
あの日が四月一日だったことに、
あとから気づいた読者もいるかもしれない。
嘘をつく日。
嘘を許される日。
あるいは、嘘という形でしか本音を置けない日。
「5センチ伸びた」という、どうしようもない嘘。
体重が減ったとか、人生が変わったとか、
そういう“意味のある嘘”ですらない。
それなのに、この嘘は、やけに正直だ。
カーテンの下から見えた5センチの外の世界。
それは希望でも展望でもなく、
単に「世界が続いている」ことの確認だった。
2026年の今、
私たちはあの頃よりもずっと多くの情報を知っている。
戦争も、分断も、経済不安も、
AIが文章を書き、映像を作り、
「嘘」と「本物」の境界線すら曖昧になった。
それでも朝は来る。
布団は少し破れていて、
洗濯物は干しっぱなしで、
晴れているのに、気分は特に良くも悪くもない。
世界は劇的には変わらない。
変わった“ような気がする”だけだ。
身長が伸びた気がした瞬間。
ドアの上部が近づいた錯覚。
あれは成長ではない。
上を向いた一瞬の姿勢の変化だ。
だけど人は、その一瞬を信じたがる。
昨日と今日が違うと信じたい。
自分が、ほんの5センチでも前に進んだと。
だから嘘をつく。
だからエイプリルフールが必要だった。
2026年の私たちは、
「嘘を見抜く力」は持った。
しかし同時に、
「信じてしまう弱さ」を失ってはいないだろうか。
正しさばかりが消費され、
間違いは即座に裁かれ、
言葉は切り取られ、保存され、
後戻りできなくなった。
そんな時代において、
この作品の嘘はあまりにも小さい。
5センチ。
誰も傷つかない。
誰も得をしない。
ただ、書いた本人だけが、少し楽になる嘘。
「ごめんなさい
なんて本当に思ってるのか」
この一文は、
誰かに向けた謝罪ではない。
自分自身への疑問だ。
謝れるほど、
まだ世界と正面から関われているのか。
責任を感じるほど、
何かを本気で信じているのか。
コロナ禍を越え、
リモートが当たり前になり、
人と会わなくても仕事は終わり、
声を出さなくても意思は伝わるようになった。
便利になったぶん、
身体の実感は薄れた。
だからこそ、
むくっとした下腹部や、
トイレに行く理由のような、
極めてどうでもいい「生理現象」が、
逆にリアルに感じられる。
生きている証拠が、
そこにしか残っていない気がするからだ。
「嘘」は、
現実から逃げるためのものではない。
「嘘」は、
現実と向き合い続けるための、
一時的な避難所だ。
本当のことだけを言い続けたら、
多分、人は壊れる。
だから人は、
伸びてもいない身長を伸びたことにして、
今日を始める。
5センチ伸びた世界は、
どこにも存在しない。
けれど、
5センチ分だけ世界を見る角度が変わったなら、
それはもう、嘘とは呼べない。
エイプリルフールが終わると、
何事もなかったように、次の日が来る。
誰も成長を確認しない。
誰も訂正を求めない。
それでいい。
嘘は、
回収されないから成立する。
この文章を読み終えた今、
読者のあなたが立ち上がっても、
天井との距離は変わらないだろう。
それでも、
ほんの5センチだけ、
昨日より視線が上がっていたとしたら。
それは、
とても人間らしい嘘で、
とても誠実な変化だ。
そして明日もまた、
いつもの午後が来る。
目が覚めて、
眠り足りなくて、
幸せでも不幸でもなくて。
それでも、
カーテンの下から覗く世界は、
確かに、続いている。
オリジナル投稿:2019年4月1日
これには触れとかないとね。「令和」とは何だったのか|改元から7年、日本は何を失い何を変えたのか
原題:これには 触れとかないとね🖐️
まっ触れるだけ、だけど
【2026年4月加筆】
[Updated Spr 2026]
1) 令和の前半は、想像以上に「世界が止まる」時代だった
