2026年3月30日月曜日

「ゴステムン」とは何だったのか 意味のない言葉が書けなくなった時代に、人間らしさを問い直す

  原題:「ゴステムン」




「ゴステムン」

無駄に尽力しろ!

余計で満たせ!

意味のない言葉
頭にただ浮かんだ言葉

「ゴステムン」

一円に更なる価値を

一円に更なる価値を

言葉に魂を

我々がすべき人間らしさは
それに尽きる

「ゴステムン」

私たちの望むものは
私たちの望むものは

儚さ

君を殺すこと

愛するがゆえの愛さ

「ゴステムン」

街中を歩くディラン

目につくものを口にしていく

それに魂が宿っていく

「ゴステムン」

腰かけてるだけが

もうカレンダーは去年

憧れは過ぎ去った

「ゴステムン」
って 、、なんだったんだ、、
「ゴステムン」
じゃなくても良かった

じゃない方が良かった

言葉になんかならない
なんの価値もない

まだまだ    だな

【2026年3月加筆】
[Updated Mar 2026]


「ゴステムン」のあとで、私たちは何を考えればいいのか

――意味のない言葉が量産される時代に、人間は何を手放し、何を守るのか

「ゴステムン」は、意味を定義しないまま、その言葉自体に魂を宿らせようとする試みだった。
しかし同時に、このテキストは自分自身でその行為を否定するところまで行き着いている。

「『ゴステムン』じゃなくても良かった
じゃない方が良かった」

ここにあるのは、“言葉を作る快楽”と“言葉を疑う冷静さ”の同居だ。
そしてこの揺れこそが、2026年を生きる私たちにとって、極めて「今的」な感覚でもある。


1. 2026年という時代は「意味が過剰な時代」である

2026年現在、私たちは日常的に“意味の供給過多”の中にいる。

  • SNSでは、意味が即座に評価され
  • AIは、意味を自動生成し
  • ニュースや広告は、「意味がある理由」を先回りして提示する

言葉は、浮かぶ前に回収され、評価され、タグ付けされる

その中で「ゴステムン」のような、

意味がない
何の価値もない
頭にただ浮かんだ言葉

という存在は、むしろ時代への抵抗に近い。

「無駄に尽力しろ」「余計で満たせ」というフレーズは、
効率・最適化・生産性を最優先する社会に対して、
あえて“無益性”を肯定する宣言と読める。


2. 「一円に更なる価値を」というフレーズの危うさ

繰り返される、

一円に更なる価値を

という言葉は、とても現代的だ。

なぜならそれは、

  • 投資
  • NFT
  • 推し活
  • データ
  • 自己ブランディング

といった「本来は一円の価値しかなかったものに、物語を載せる行為」そのものだからだ。

しかし「ゴステムン」は、そのプロセスをどこか空虚に見ている。

価値を足せば足すほど、
言葉に魂を込めようとすればするほど、
「それって本当に必要だったのか?」という疑念が湧いてくる。

これは、価値創造に疲れた時代の感覚だ。


3. “人間らしさ”が唯一の拠り所になった社会

我々がすべき人間らしさは
それに尽きる

ここで語られる「人間らしさ」は、
優しさでも、正しさでも、倫理でもない。

それは

  • 無駄
  • 余計
  • 意味がない
  • 後から後悔する

そうした“非最適な振る舞い”のことだ。

2026年時点で、文章、音楽、映像、解説、要約、感想は、
ほぼすべてAIが「それっぽく」作れるようになった。

だからこそ、人間に残されたのは

「意味がないと分かっていて、それでもやってしまう行為」

だけになりつつある。

「ゴステムン」は、その最前線にある。


4. 「君を殺すこと」「愛するがゆえの愛さ」――言葉の危険な跳躍

この詩には、唐突で危険なフレーズが挟まれる。

君を殺すこと
愛するがゆえの愛さ

これは比喩でありながら、強烈だ。
そして重要なのは、説明されないことだ。

現代の文章の多くは、
「誤解されないように」「炎上しないように」
あらかじめ意味を限定する。

しかしここでは、説明を放棄している。

これは、
“説明責任を拒否する言葉”がどこまで許されるのか
という問いでもある。

AIが安全に言葉を整える時代に、
あえて荒れた言葉を残すことは、
表現として“際どい”が、同時に“人間的”でもある。


5. ディランが街を歩く――意味は後から宿るもの

街中を歩くディラン
目につくものを口にしていく
それに魂が宿っていく

ここで描かれるのは、「意味は狙って作るものではない」という逆説だ。

何気なく口にした言葉、
たまたま目に入った風景、
偶然の積み重ね。

この態度は、
アルゴリズムに最適化された創作とは正反対にある。

AIが「最も刺さる言葉」を先に選ぶ時代に、
刺さらなくてもいい言葉を拾うこと。

そこにしか、生の表現は生まれないのかもしれない。


6. 「もうカレンダーは去年」――時間に置いていかれる感覚

腰かけてるだけが
もうカレンダーは去年
憧れは過ぎ去った

これは、若さでもなければ老いでもない。
**“更新され続ける社会から、ほんの少し遅れる感覚”**だ。

2026年の社会は、
つねに「次」が提示される。

  • 次のAI
  • 次のSNS
  • 次のトレンド
  • 次の正解

そこに追いつけない感覚を、
「ゴステムン」は正直に書いている。

憧れが過去形になる瞬間。
それは挫折ではなく、世界の速度に気づいた瞬間かもしれない。


7. 最後に残る「まだまだ だな」という自己否定

言葉になんかならない
なんの価値もない

まだまだ だな

この結びは、完成を拒否している。

自分で作った言葉を、
自分で「価値がない」と断じる。

だが、その未完成性こそが、
このテキストを“終わらせていない”。

「ゴステムン」は答えを出さない。
だからこそ、読み手に次の問いを残す。


次に、読者に差し出すべきもの

この文章を読んだ人に、次に提供すべきなのは
解釈の正解ではない。

  • 「あなたなら、この“意味のない言葉”をどう扱うか」
  • 「AIが言葉を作る時代に、あなたは何を書くのか」
  • 「価値がないと分かっていて、まだやりたいことは何か」

そうした問いだ。

「ゴステムン」は失敗しているかもしれない。
だが、失敗したまま止まっている文章は、
完成した凡庸な言葉より、ずっと未来に残る。

そしてそれを読んで、何かが引っかかったなら、
その引っかかりこそが、
今の人間に残された“人間らしさ”なのだろう。


written by ときなかと
オリジナル投稿:2019年3月30日

1 件のコメント:

  1. 2記事目の投稿ありがとうございました。この調子で今後もよろしくお願いします。

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