2024年5月11日土曜日

飛鳥山の崖下に広がる低地は縄文時代ウォーターフロント!水産加工場あり The lowlands beneath the cliffs of Asukayama are the Jomon period waterfront! There is a fishery processing plant

 

The lowlands beneath the cliffs of Asukayama are the Jomon period waterfront! There is a fishery processing plant


飛鳥山は台地の果て、崖っぷちです。
飛鳥山より低い位置に、巨大な貝塚がありました。かなりの規模です。

Asukayama is a cliff at the end of the plateau.
There was a huge shell mound below Asukayama. It's quite large.


飛鳥山博物館で貝塚の様子が展示されています。
The state of the shell mound is exhibited at the Asukayama Museum.

飛鳥山博物館

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かつては奥まで東京湾
Once to the back of Tokyo Bay


古代というか縄文時代というか、かなり奥のほうまで東京湾だった頃があります。
飛鳥山の崖の下に広がる低地は、海に面していました。
ウォーターフロントだったわけですね。
海に面しているエリア。そこに貝塚があります。
There was a time when it was Tokyo Bay to the far end, in the ancient or Jomon period.
The lowlands beneath the cliffs of Asukayama faced the sea.
It was the waterfront.
Area facing the sea. There is a shell mound there.



水産加工場としての機能 中里貝塚
Function as a fishery processing plant Nakazato Shell Mound


集落から離れた位置にあり、貝を加工した形跡があることから、水産加工場と表現されています。
そんな水産加工場、もともと貝殻が出る場所として知られていて、明治時代に白井光太郎が学会に報告しています。モースの大森貝塚から9年後のこと。
それが、現在の中里貝塚です。
白井光太郎は植物病理学者ですが、考古学にも精通していて、土器の模様を「縄紋」と名付けた一面も。
It is described as a fishery processing plant because it is located far from the village and there is evidence that shellfish have been processed.
Such a fishery processing plant was originally known as a place where shells come out, and Mitsutaro Shirai reported to the academic society in the Meiji era. Nine years after Morse's Omori Shell Mound.
That is the current Nakazato Shell Mound.
Mitsutaro Shirai is a phytopathologist, but he is also familiar with archeology, and he also named the pottery pattern "Nawamon".






飛鳥山からの距離感覚
Sense of distance from Asukayama


飛鳥山から中里貝塚までは、かなり距離があります。
このあたり一帯に、かなり豊かな生活圏があり、水産加工場がありました。
現代風に表現すると、「低層住宅地」と「工場」が離れていて、快適な環境に整えられていたという感じでしょう。
飛鳥山の崖下にある「飛鳥の小径」は、あじさいの名所として親しまれています。
There is a considerable distance from Asukayama to Nakazato Shell Mound.
There was a fairly rich living area around here, and there was a fishery processing plant.
Expressed in a modern way, it seems that the "low-rise residential area" and the "factory" are separated and the environment is comfortable.
"Hydrangea Road" under the cliff of Mt. Asuka is popular as a famous place for hydrangea.


飛鳥の小径のコースを、線路沿いに進んで上中里駅方面に向かい、線路の陸橋を渡ったエリアに中里貝塚があります。
Follow the Asuka's small-diameter course toward Kaminakazato Station, and you will find Nakazato Shell Mound in the area across the overpass of the railroad track.


飛鳥の小径のコースを、古河庭園のある西ヶ原方面に進めば、西ヶ原貝塚があります。
If you follow Asuka's small-diameter course toward Nishigahara, where the Furukawa Garden is located, you will find the Nishigahara Shell Mound.


古代の面影は、もうありません。
けれども、住宅地を歩いていると、昔から人々が快適に暮らしてきたエリアなんだろうなという気がします。
都市が発展したから人口が増えたというより、近代都市が形成される以前から土着的に人々が暮らし続けていた雰囲気があるからです。
There are no more ancient remnants.
However, when I walk in a residential area, I feel that it is an area where people have lived comfortably for a long time.
It is not because the population has increased due to the development of the city, but because there is an atmosphere in which people have lived indigenously before the formation of the modern city.




【飛鳥山に関する情報は、こちらの記事をご参照ください↓】

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【2024年5月加筆】 [Updated May 2024]

#### 1. はじめに
飛鳥山の崖下に広がる低地が縄文時代のウォーターフロントであり、水産加工場が存在していたことは、縄文時代の生活や文化を理解する上で非常に重要な発見です。この記事では、縄文時代の生活様式や文化、そして飛鳥山の発見が現代に与える影響について詳しく解説します。

#### 2. 縄文時代の概要
縄文時代は、日本の先史時代の一部であり、約1万4千年前から約2千年前まで続きました。この時代は、狩猟採集生活が主流であり、土器の使用が始まったことが特徴です。縄文時代の人々は、自然と共生しながら生活しており、豊かな自然環境を利用して食料を確保していました。

#### 3. 飛鳥山の地理的背景
飛鳥山は、東京都北区に位置する台地の端にある崖です。この崖下には広大な低地が広がっており、かつては東京湾に面していました。この低地には巨大な貝塚が存在し、飛鳥山博物館でその様子が展示されています。

#### 4. 縄文時代のウォーターフロント
縄文時代の人々は、自然と共生しながら生活していました。飛鳥山の崖下に広がる低地は、当時のウォーターフロントとして重要な役割を果たしていました。海に面したこのエリアは、漁業や貝の採取などが盛んに行われていたと考えられています。

#### 5. 水産加工場の発見
飛鳥山の崖下で行われた発掘調査により、水産加工場の存在が明らかになりました。この加工場は、貝や魚を加工するための施設であり、縄文時代の人々がどのようにして食料を保存し、利用していたかを示しています。

#### 6. 縄文時代の水産加工技術
縄文時代の水産加工技術は非常に高度で、貝や魚を効率的に加工するための道具や方法が発見されています。例えば、貝を開くための石器や、魚を干すための設備などが見つかっています。これらの技術は、当時の社会や経済に大きな影響を与えていたと考えられます。

#### 7. 飛鳥山博物館の展示
飛鳥山博物館では、縄文時代の展示物が豊富に揃っています。特に、貝塚の地層を切り取った展示や、縄文時代の生活を再現した模型などが見どころです。これらの展示を通じて、当時の人々の生活や技術をより深く理解することができます。

#### 8. 現代とのつながり
縄文時代のウォーターフロントと現代の都市計画や環境保護には、多くの共通点があります。例えば、自然と共生する生活様式や、資源を効率的に利用する技術などです。これらの教訓を現代に活かすことで、持続可能な社会を築くためのヒントが得られるでしょう。

#### 9. 縄文時代の生活と文化の影響
縄文時代の生活と文化は、現代の日本社会にも多大な影響を与えています。例えば、縄文時代の土器や装飾品は、現代のデザインやアートに影響を与えています。また、縄文時代の自然との共生の考え方は、現代の環境保護活動にも通じるものがあります。

#### 10. まとめ
飛鳥山の崖下に広がる低地が縄文時代のウォーターフロントであったことは、歴史的にも非常に興味深い発見です。水産加工場の存在や高度な加工技術は、当時の人々の生活や社会を理解するための重要な手がかりとなります。現代においても、これらの知識を活かし、持続可能な社会を目指すことが求められています。

この記事を通じて、飛鳥山の歴史的な魅力を存分に感じていただければ幸いです。今後も飛鳥山や縄文時代の研究が進み、新たな発見があることを期待しています。

written by 水瀬次郎

オリジナル投稿:5月11日

2 件のコメント:

  1. 房総半島がほぼ島だった時代があったのですね。知らなかったです。

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  2. 本当にほとんど島ですね。かろうじてつながっている感じがします。

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