Mitsutaro Shirai opens the world's first plant pathology course! Inherit what monja
新しい元号「令和」が始まりました。
新鮮ですね。
「明治生まれで、5つの元号を経験している」というご長寿の方が話題になることもあります。
これからご紹介する白井光太郎は、6つの元号を生き抜いています。
文久、元治、慶応、明治、大正、昭和。
もうすでにご存じの方も、ぜひお付き合いくださいませ。
A new era "Reiwa" has begun.
It's fresh.
The longevity of being born in the Meiji era and experiencing five eras is sometimes talked about.
Mitsutaro Shirai, who I will introduce, has survived six eras.
Fumihisa, Genji, Keio, Meiji, Taisho, Showa.
If you already know this, please do not hesitate to contact us.
シライミツタロウとは?植物病理学者
What is Shirai Mitsutaro? Plant pathologist
白井光太郎「しらいみつたろう」植物病理学者です。
史跡名勝天然記念物を、植え継ぎ保存で大活躍。
植物を科学する「植物病理学」の、日本における創始者的な存在。まさに第一人者です。
世界で初めて、大学で植物病理学講座を開設しました。
植物に感染する病原菌の分類を行っています。
植物病理学者で、本草学者であり、のちほど触れますが考古学にも足跡のある博士です。
Kotaro Shirai "Shirai Mitsutaro" is a plant pathologist.
He is very active in preserving historic sites of scenic beauty and natural monuments.
The founder of "plant pathology", which sciences plants, in Japan. He is just a leader.
He opened the world's first plant pathology course at the university.
He classifies pathogens that infect plants.
He is a plant pathologist, a honzogaku scholar, and a doctor who has a footprint in archeology, which I will mention later.
【国立国会図書館 蔵書印 白井光太郎】
福井藩士の子として生まれ江戸に学ぶ
Born as a child of the Fukui domain and learned from Edo
1863年、時はまさに幕末。
福井藩士の子として江戸で生まれます。
福井藩主・松平春嶽から学問を教わったという逸話も残されています。
松平春嶽といえば、「幕末四賢候」のひとり。明治という元号の命名者。
そして、植物の世界では「日本に西洋リンゴを初めて導入した」ことで知られています。
松平春嶽は、1862年、アメリカのリンゴの苗木を福井藩下屋敷に植えました。
1862年は、政事総裁職に就任する年です。
大政奉還へと向かう時の流れの中ですね。
そんな松平春嶽から、白井光太郎は学問を学び始めます。
白井光太郎だけでなく、多くの若者や子供たちが、機会あるごとに学問を学んでいったそうです。
白井光太郎が学問に触れたときは、すでに文明開化の幕が開けた時代になっていたことでしょう。
まさに激動の時代ですね。
In 1863, the time was just the end of the Edo period.
Born in Edo as a child of the Fukui domain.
There is also an anecdote that he learned from the Fukui feudal lord, Matsudaira Yoshinaga.
Matsudaira Yoshinaga is one of the "four wise men of the late Tokugawa period." He is the name of the era name Meiji.
And in the world of plants, it is known for "the first introduction of Western apples to Japan".
Matsudaira Yoshinaga planted American apple saplings in the Fukui clan's mansion in 1862.
1862 is the year in which he will assume the post of political governor.
It's in the process of heading for the Taisei Hokan.
From such Matsudaira Yoshinaga, Mitsutaro Shirai begins to study academics.
Not only Mitsutaro Shirai, but many young people and children learned to study at every opportunity.
By the time Mitsutaro Shirai came into contact with scholarship, it would have been an era when the dawn of civilization had already begun.
It's a turbulent era.
ドイツに留学
Study abroad in Germany
さらにドイツに留学し、植物病理学の研究に触れます。
ドイツへは、日本で作成していた植物寄生菌の写生図を持参しました。
ドイツ・ヨーロッパで研究済みの菌種と比較しています。
その結果、新種の記載が行われ、国際的に研究が大きく前進します。
白井光太郎による新種もしくは新変種は、50種類以上に及びました。
Mitsutaro Shirai graduated from the Department of Botanical Sciences, Tokyo Imperial University, and will become an assistant professor and professor at Tokyo School of Agriculture and Forestry.
He will also study abroad in Germany to study plant pathology.
To Germany, he brought a sketch of a plant parasite that he had made in Japan.
It is compared with the bacterial species studied in Germany and Europe.
As a result, new species will be described and research will make great progress internationally.
There are more than 50 new species or new variants by Mitsutaro Shirai.
ドイツから帰国後、世界初!
The world's first after returning from Germany!
ドイツ留学から帰国すると、東京帝国大学に植物病理学の講座を開設します。
大学に植物病理学講座が開設されるのは、世界初でした。
もちろん、白井光太郎が教授となります。
大学に植物病理学講座が開設されるのは、世界初でした。
もちろん、白井光太郎が教授となります。
1920年には、日本植物病理学会を設立しました。
After returning from studying in Germany, I will open a plant pathology course at Tokyo Imperial University.
It was the first time in the world that a plant pathology course was opened at the university.
Of course, Mitsutaro Shirai will be the professor.
In 1920, he founded the Japanese Society of Phytopathology.
【参考】日本植物病理学会
【参考論文】初代会長白井光太郎先生の生誕第百年を迎えて
考古学にキラリと光るセンスを発揮する
Demonstrate a brilliant sense in archeology
考古学の分野でも、実は大きな足跡を残しています。
現在では定着している「縄文」という表現は、白井光太郎によるものだからです。
モースが発見した大森貝塚には、土器もありました。
「貝塚土器」と呼ばれ、その名称が定着しつつあったのですが。
モースによる表記「cord marked pottery」を、
白井光太郎は「縄紋」という日本語で表現したのです。
「縄紋」は、やがて「縄文」となり、縄文時代という呼び名に使われていきます。
ちなみに、弥生時代・弥生土器の「弥生」という名前は、地名が由来です。
貝塚が発見された東京都文京区弥生の地名です。
「縄紋」という名前は、地名ではなくデザインが由来。
土器の紋様を的確にとらえています。
時代の雰囲気まで象徴するネーミングになりました。
「縄文」という言葉に、白井光太郎博士のセンスがキラリと輝いていると思います。
Even in the field of archeology, it actually leaves a big mark.
This is because the expression "Jomon" that is now well established is by Mitsutaro Shirai.
The Omori Shell Mound discovered by Morse also had earthenware.
It was called "Kaizuka pottery" and its name was becoming established.
The notation "cord marked pottery" by Morse,
Mitsutaro Shirai expressed it in Japanese as "Nawamon".
"Jomon" eventually became "Jomon" and is used in the name of the Jomon period.
By the way, the name "Yayoi" in the Yayoi period Yayoi pottery is derived from the place name.
It is the place name of Yayoi, Bunkyo-ku, Tokyo, where the shell mound was discovered.
The name "Nawamon" comes from the design, not the place name.
It accurately captures the pattern of earthenware.
The name has become a symbol of the atmosphere of the times.
I think that Dr. Mitsutaro Shirai's sense is shining brightly in the word "Jomon".
生態系を大切にする姿勢
Attitude to value the ecosystem
明治時代の世の中にも、自然と共存するか、自然を征服していくか、価値観の衝突がありました。
和歌山県の開発をめぐり、政府の方針と対立していたのが、生態系を研究していた南方熊楠です。
南方熊楠は生態系の保存を主張しています。
そのとき、絶大な賛同者となったのが白井光太郎です。
天才・南方熊楠が「辱知 白井光太郎教授」と呼ぶほど。
ちなみに「辱知 じょくち」とは、「知り合いであることを光栄に思うこと」という意味合いがあります。
Even in the world of the Meiji era, there was a conflict of values, whether to coexist with nature or to conquer nature.
Minakata Kumagusu, who was studying the ecosystem, was at odds with the government's policy regarding the development of Wakayama Prefecture.
Minakata Kumagusu insists on the conservation of the ecosystem.
At that time, Mitsutaro Shirai became a huge supporter.
The genius Minakata Kumagusu calls him "Professor Mitsutaro Shirai".
By the way, "humiliation jokuchi" means "to be honored to be an acquaintance".
なんじゃもんじゃ!植え継ぎに成功
What the hell! Successful replanting
明治神宮外苑に「なんじゃもんじゃの木」があります。大正時代に天然記念物に指定されました。しかし、その木は枯れてしまうことに。
けれども、白井光太郎博士は植え継ぎに成功します。
現在も、2代目・なんじゃもんじゃの木が神宮外苑に新緑を輝かせています。
現在も、2代目・なんじゃもんじゃの木が神宮外苑に新緑を輝かせています。
なお、なんじゃもんじゃの木は、植物学的には「ナンジャモンジャノキ」「ヒトツバタゴ」と呼ばれています。
There is a "Nanjamonja no Ki" in Meijijingu Gaien. It was designated as a natural monument in the Taisho era. However, the tree will die.
However, Dr. Mitsutaro Shirai succeeds in replanting.
Even now, the second generation Nanjamonja tree is shining fresh green in Jingu Gaien.
The Nanjamonja tree is botanically called "Nanjamonjanoki" or "Chionanthus retusus".
なんじゃもんじゃ?ってなに
What is it? What
神宮外苑の各所に植えられているヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)の木に、今年も白いお花が咲いています!満開になると、まるで真っ白な雪に包まれたように見えるヒトツバタゴは、神宮球場の3塁側で見ることができます!満開まではあと少しです。 #神宮球場 #神宮外苑 pic.twitter.com/4kOoUotqA4— 明治神宮野球場(公式) (@jingu_stadiumpr) 2018年4月16日
「なんじゃもんじゃの木」は、日本全国各地にあるようです。
名前の由来などさまざまですが、共通しているのは、
名前の由来などさまざまですが、共通しているのは、
・その地域で珍しい木
・誰も名前を知らない
・立派な木
・ご神木とされていることもある
というもの。
明治神宮外苑の「なんじゃもんじゃの木」は、江戸時代のエピソードが語り継がれています。
"Nanjamonja no Ki" seems to be found all over Japan.
There are various origins of the name, but what they have in common is
・ A rare tree in the area
・ No one knows the name
・ A fine tree
・ Sometimes it is said to be a sacred tree
something like.
The episode of the Edo period is handed down in "Nanjamonja no Ki" at Meijijingu Gaien.
江戸幕府 将軍と副将軍のエピソード
Episodes of Shogun and Deputy Shogun of the Edo Shogunate
青山六道の辻に、大きな木があります。
木が植えられている敷地の家の者も、名前を知らないようです。
木が植えられている敷地の家の者も、名前を知らないようです。
あるとき将軍が「この木は何の木か」と、たずねられました。
誰も名前を知らない木です。
答えに困りつつも、見事に即答した者がいます。
答えに困りつつも、見事に即答した者がいます。
その答えが「なんじゃもんじゃ」
答えたのは徳川光圀。副将軍のちの水戸黄門さまです。
そのエピソードは、天下に知れ渡ります。
「その地方には珍しい正体不明で立派な木」があると、「なんじゃもんじゃの木」と堂々と呼ぶようになっていったそうです。
There is a big tree in Tsuji of Aoyama Rokudo.
Even the people in the house on the site where the trees are planted do not seem to know the name.
At one point, the general asked, "What kind of tree is this tree?"
It is a tree whose name no one knows.
There are people who have trouble answering, but have answered brilliantly immediately.
The answer is "What is it?"
The answer was Mitsukuni Tokugawa. It is Mr. Mito Komon who is the deputy general.
The episode is known to the world.
When there was a "rare unidentified and splendid tree in the region," he began to call it "Nanjamonja no Ki."
青山六道の辻は、現在の明治神宮外苑に位置する場所。
初代なんじゃもんじゃが植え継ぎされて、現在は2代目です。
初代なんじゃもんじゃが植え継ぎされて、現在は2代目です。
Tsuji in Aoyama Rokudo is located in the current Meijijingu Gaien.
The first generation of Monja Monja was replanted and is now the second generation.
【よかったらこちらもお読みくださいね?】
なんじゃもんじゃの木はヒトツバタゴ!一つ葉トネリコ
日本博物学年表 白井光太郎 著
Japanese Museum Chronology by Mitsutaro Shirai
天然記念物の保存に貢献
Contributes to the preservation of natural monuments
白井光太郎博士は、天然記念物の保存に貢献しています。
名木が枯れてしまうのは運命でも、接ぎ木の技術で見事に代替わりさせられることを実証していきます。
名木が枯れてしまうのは運命でも、接ぎ木の技術で見事に代替わりさせられることを実証していきます。
明治神宮外苑の「なんじゃもんじゃの木」は、2代目。
さらに増えて、5月の初夏の風の中で、白い花を咲かせ続けています。
Dr. Mitsutaro Shirai contributes to the preservation of natural monuments.
Even if it is destined that a famous tree will die, we will demonstrate that grafting technology can be used as a substitute.
"Nanjamonja no Ki" at Meijijingu Gaien is the second generation.
The number is increasing, and white flowers continue to bloom in the early summer breeze in May.
桜の名所
Cherry blossom spot
桜の名所で「木が危ない」「倒れる」などの問題が出ています。
おりしも、各地のソメイヨシノが長寿です。
多くの人たちを魅了し続けてきた木々です。
『枯れるから伐る』
『倒れると危ないから倒す』
だからといって、ある日突然に、行政が黙って伐採してしまうのは、痛々しいです。
「別な場所で植え継ぎます」という選択肢もあります。
それならそうと、ひとこと広報されるだけでも、ショックはやわらぐのではと。
おりしも、各地のソメイヨシノが長寿です。
多くの人たちを魅了し続けてきた木々です。
『枯れるから伐る』
『倒れると危ないから倒す』
だからといって、ある日突然に、行政が黙って伐採してしまうのは、痛々しいです。
「別な場所で植え継ぎます」という選択肢もあります。
それならそうと、ひとこと広報されるだけでも、ショックはやわらぐのではと。
もうすでに、白井光太郎博士は、さまざまな名木の植え継ぎに成功しています。
There are problems such as "trees are dangerous" and "falling down" at famous cherry blossom spots.
Yoshino cherry trees in various places have a long life.
It is a tree that has been fascinated by many people.
"Cut because it withers"
"If you fall, it's dangerous, so kill it."
However, it is painful for the government to silently cut down trees one day.
There is also the option of "planting in another location".
In that case, the shock may be alleviated just by publicizing it.
Dr. Mitsutaro Shirai has already succeeded in planting various famous trees.
まとめ
summary
6つの元号を生き抜いた白井光太郎博士。
植物病理学と接ぎ木の技術。
令和の時代にも活かされ続けて欲しいと願っています。
Fumihisa, Genji, Keio, Meiji, Taisho, Showa.
Dr. Mitsutaro Shirai who survived the six eras.
Plant pathology and grafting techniques.
I hope that it will continue to be used in the Reiwa era.
written by 水瀬次郎
オリジナル投稿:2019年5月4日
「平成生まれと仕事するんだ」と思ってから何年か経ちましたが、20年すると「令和生まれと仕事するんだ」と思うんでしょうね。
返信削除このコメントは投稿者によって削除されました。
削除生涯現役で仕事すると、子ども・孫・ひ孫世代と一緒に~という流れですね。令和生まれと話が合うといいなあ。
返信削除