2019年5月9日木曜日

飛鳥山に渋沢栄一の晩香盧


飛鳥山は小高い丘です。いえ、東京でいちばん低い山です。

飛鳥山の標高は東京でいちばん低い山?



広大な敷地面積、そのなかには、かつて渋沢栄一の住まいがありました。

旧渋沢庭園と呼ばれている一角です。



旧渋沢庭園には、ふたつの建物が残っています。

住まいは空襲で焼失したものの、レセプションルームとして活用されていた「晩香盧」と、接客にも利用された「青淵文庫」です。




晩香廬「ばんこうろ」





渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って、清水組(清水建設)が贈りました。









渋沢栄一は大変気に入り、91歳で亡くなられるまで交流の場として積極的に活用しています。おしゃれなレセプションルームという趣です。


暖炉真上にタイルで文字  壽 が施工されています。








晩香盧は栗の木が使われています



栗の木は、防虫性が高いことで知られているのですが、実際に住宅に使われる実例は多くないのかもしれません。スギやヒノキに比べて、住宅用木材としての製造量そのものが少ないですし、住宅よりも家具に利用されて、高級仕様になるケースが多いです。


林業の現場では、かなり古くから使い続けられています。屋外に放置してある木造施設が栗の木だと、白アリの被害がないそうです。白アリは地中に自然に生息しているので、屋外で特別な防水防虫施工をしないと、たいてい被害にあうのですが、そういうことがないんだとか。


吸湿性に優れている桐のタンスは、火事に強いことで知られています。
防虫性の高い栗の家具は、虫害から守りたい紙類などの貴重品の保管に最適です。


渋沢栄一の晩香盧は、運よく戦火を免れました。それだけでなく、内装がいまなお美しいのは、栗の木の効果かもしれません。


なお、栗の木は、伐採してからも時間がかかります。
加工できるようになるまで、5年から10年。ひたすら乾燥させるためです。
乾燥が甘いと、ゆがんでしまうのがデメリット。
長い年月でゆがむことなく耐久性が発揮されているということは、それだけ良質な栗の木材が使用されているのだとわかります。


栗の木は、建物だけでなく家具や調度品の良質さも象徴しています。



【メモ】
渋沢栄一の漢詩「菊花晩節香
晩香盧の名前の由来になっています。



設計したのは、田辺淳吉。清水組の技師長です。清水組は、現在の清水建設です。

田辺淳吉は、渋沢栄一にゆかりのある建物を設計しています。
次の「青淵文庫」も、さらには埼玉県深谷市にある「誠之堂」も手がけています。



国指定重要文化財 晩香廬・青淵文庫内部公開

渋沢史料館の入館券でご覧になれます(一般300円 小中高100円)
渋沢史料館開館日の 10:00〜15:45



庭木の剪定が見事です。ついつい、見入ってしまいます。

1917


 晩香盧は1917年に、渋沢栄一の喜寿を祝ってつくられましたから、その年を表す「1917」の文字が、さりげなく散りばめられています。


建物の外観は、とても落ち着いた雰囲気。
どことなく森の中を想起させる雰囲気です。
昼でも照明が必要かな? というくらいの、ほの暗さも。

その理由は、軒先です。

軒先は、屋外の柱で支えられるほど長く設計されているので、良い意味で日除け効果に。



ハートのデザイン

 晩香盧では、「1917」の他にも、ハート形のデザインが、ひそんでいます。



晩香盧はデザインの宝庫 


ツイッターで、晩香盧の各所が紹介されています。
現地では、あまりにも自然に溶け込んでいる繊細な場所だったりするので、あらためて写真で見ると『こんなふうになっていたのか』と気づかされます。

なかには、スタッフに声をかけないと見ることのできないスペースも。

蝶番と鋲

そして、火鉢

傘立て。100年経っても現役です。
タイル
 屋外施工のタイル。階段にもあります。







晩香盧は、豊かな自然に包まれています。

新緑の季節は、とくに色鮮やかです。




つづきは、こちらの記事をごらんください
↓ 青淵文庫

飛鳥山で日本経済の光を感じられる青淵文庫




written by 水瀬次郎




2 件のコメント:

  1. 新紙幣の肖像になることも決まって、これからも渋沢さんの注目度は上がって行きそうですね。

    返信削除
  2. 新紙幣が出る頃はキャッシュレスが進んで、お金のイメージも変化しているかもしれませんね。

    返信削除