2020年5月17日日曜日

五木寛之「大河の一滴」にみなぎる言葉の力



あらためて「大河の一滴」を 


 「大河の一滴」 いったい、いつ読んだのか。

 正直よく思い出せないのですが、 書店で購入したときのことを覚えています。 


 表紙、 

 タイトル、 

 著者である五木寛之さんの名前、 

 ぱらっとページをめくって、 

 ダイレクトに飛び込んでくる言葉と文章。 




本を買って読んだのは平成ですが、いまあらためて令和にテレビ番組で語る五木寛之さんの姿を観ました。





makoto.hさんによる写真ACからの写真






こんにちは、水瀬次郎です。 

カラオケや飲み会に行きまくっていた頃に、 手にとって読んだ本のひとつです。  



1990年代、それも後半になった頃。 

 『世紀末』という言葉と雰囲気が、 

 ある意味で身近になり、 

 別の意味で遠くなり、 

 個人的に公私共に多忙でした。 



 多忙にも関わらず、とにかく本を読みまくっていました。


その頃に読んでいた本の大半は、 

 啓蒙や啓発に近い感じの本なので、

 とにかくパラパラと早く読み流していて、  

胸にグッと来た言葉にはラインマーカーをひいて、 

自分の手帳に書き写したりしていました。 

とにかく、 自分を鼓舞する言葉を求めていたのです。 

 渇望という感じですね。 










渇望!

 とにかくなにかが渇いていました。 



 自分の中で、どうしようもない渇きが。 

 水やお酒で潤うものでもなく、 

 自分にとっては

誰かの言葉

他人の言葉

を、 激しく求めていたのです。 



 そんな時期の一冊が、「大河の一滴」です。 






shin3さんによる写真ACからの写真 









タイトルに、ありとあらゆることが凝縮されている気がします。

ひととおり読めば、

得ることも感動することも多いのですが、 

読み終わってからのほうが重要な気もするんですよね。 

あくまでも自分の感覚です。 

が、 

読み終えて、 

 本棚に置いて、 

 さて。 

 ふと、なにげに背表紙が目に付くとき。 



 「大河の一滴」 



 そのタイトル「大河の一滴」という文字が引き金となって、

 さまざまな心象風景や感動が、

 一瞬にして脳と心にバンっと復活します。 



 そのときの自分にとっての「なにか」が加わり、 さらに深い考察や洞察が無意識に始まるのです。


基本的には小説が好きですが、小説は物語性が強いので「映画を観ている」かのような感覚になりやすいです。

随筆やエッセイは、「その人がそこにいて、私に話しかけている」ような感覚になります。




「大河の一滴」を、あらためて思い出しました。

きっかけは、テレビ。

こちらです、







 最初からは観ることができませんでしたが、途中から。

五木寛之さんはマスクをして話をしていました。

まさに、「現在」です。

その収録風景の距離感、マスク姿、どれもが現在の状況そのもの。

けれども取り上げられている著書「大河の一滴」は、

平成の一冊です。


あらためて「そうだったのか」と思ったのですが、

出版されたのは、1998年だそうです。

平成9年かな。

自分としては、もう少し早くなかったっけ? という感覚でしたが。

1993年頃だと思ってましたので。

記憶って、あいまいですね。

1993年は、「生きるヒント」が出版された年のようです。


「生きるヒント」は、何度も何度も、むさぶるように読み返しました。

そういう経験があったからこそ、「大河の一滴」を手にとって、時間間隔を超えて記憶されてしまったのでしょう。








written by 水瀬次郎














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