2026年1月13日火曜日

久米宏さん死去、81歳の美学。伝説の「Nステ」ビール一気飲みから最期の「サイダー」まで――テレビの黄金時代を駆け抜けた天才司会者の功罪


2026年1月13日、一つの時代の終焉を告げるニュースが日本中を駆け巡りました。

元TBSアナウンサーであり、フリーとして「ニュースステーション」の顔を務めた久米宏さんが、1月1日に肺がんのため81歳で逝去されていたことが発表されました。

生放送中にビールを飲み干し、巨人が優勝すれば丸坊主になり、時に社会を揺るがす発言を繰り返した「不世出の天才」。掲示板やSNSで語られるリアルなエピソードとともに、その波乱に満ちた足跡を振り返ります。



1. 【訃報】久米宏さん、元日に旅立つ。死因は肺がん、81歳の最期

2026年の幕開けとともに、久米宏さんは静かに息を引き取りました。所属事務所「オフィス・トゥー・ワン」の発表によると、死因は肺がん。葬儀は近親者のみで執り行われました。

最も人々の涙を誘ったのは、妻・麗子さんのコメントです。

「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました。まるでニュースステーションの最終回でビールを飲みほしたあの時のように」

2004年3月、18年半続いた「ニュースステーション」の最終回で見せた、あの伝説の**「ジョッキビール一気飲み」**。自らの美学を最後まで貫き、人生の幕引きを自ら演出するかのような、あまりにも「久米さんらしい」最期でした。


2. テレビの歴史を変えた「久米宏」という現象

久米宏という存在がいなければ、今の日本のテレビ番組の形は大きく変わっていたでしょう。

① 黒柳徹子との絶妙な掛け合い「ザ・ベストテン」

1970年代から80年代、お茶の間を独占したのが音楽番組『ザ・ベストテン』でした。

  • 唯一無二のパートナーシップ: 黒柳徹子さんのマシンガントークを軽妙にいなし、「おかあさーん!」と呼びかけるユーモア。

  • 生放送の緊迫感: 歌手が新幹線から歌うなど、ハプニングを笑いに変える司会術は、現代のバラエティの原点となりました。

② ニュースを「ショー」に変えた「ニュースステーション」の衝撃

1985年にスタートした『ニュースステーション』は、日本の報道を根底から覆しました。

  • 「中学生にもわかる」解説: 難しい政治や経済を、模型や図解を使って平易に解説。

  • キャスターの私見: 感情を露わにし、時に怒り、時に笑う。小宮悦子さんとの絶妙なコンビネーションは、それまでの「淡々と読むニュース」を「見るのが楽しみな番組」へと変貌させました。


3. 語り継がれる伝説エピソード:坊主頭、ゲーム、そして多額の寄付

掲示板でも、久米さんの人間味あふれる(あるいは極端な)エピソードが次々と語られています。

  • 「巨人が優勝したら丸坊主」: 1990年、公約通り番組内で坊主頭になった姿は、報道番組の枠を超えたエンターテインメントとして記憶されています。

  • 極度の近視と「挨拶無視」: 「挨拶をしても無視される」という噂がありましたが、実はマネージャーが代わりにするほど目が悪く、本当に対象が見えていなかったという裏話も。

  • 腱鞘炎で包帯出演: ゲームに熱中しすぎて腱鞘炎になり、包帯を巻いてニュースを読んだ際も「久米さんなら仕方ない」と思わせる愛嬌がありました。

  • 知られざる志(2億円寄付): 東日本大震災の際、特段のコメントもせず2億円もの義援金を寄付。毒舌の裏にある、強い正義感と社会への愛が垣間見えます。


4. 鋭い舌鋒が生んだ「功」と「罪」――ネット上の毀誉褒貶

天才ゆえに、その評価は二分されます。掲示板では、その「罪」の側面を指摘する声も少なくありません。

① ニュースのバラエティ化と風評被害

  • 情報の操作と偏向: 自分の意見を強く押し出すスタイルは、「視聴者を洗脳している」という批判を常に伴いました。

  • 社会的混乱: 埼玉県所沢産の野菜を巡る「ダイオキシン報道」や「ステロイドは悪魔の薬」といったキャンペーンは、農家や患者に甚大な影響を与え、今なお議論の対象となっています。

② ライバルたちとの対比

筑紫哲也氏、逸見政孝氏、徳光和夫氏。同年代の巨星たちと比較されながらも、久米さんは常に**「体制への批判精神」**を失いませんでした。後任の古舘伊知郎氏が「久米さんの凄さはやってみて初めてわかった」と語る通り、あの席に座り続けるプレッシャーは想像を絶するものだったはずです。


5. 「ラジオなんですけど」降板と最期までの日々

テレビから距離を置いた後、主戦場となったのはTBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』でした。

  • 自由な言論: スポンサーの顔色を伺わず、自分の言葉で語れるラジオという媒体を、久米さんは心から愛していました。

  • 体力の限界: 2020年に同番組を降板した際、「これ以上続けると番組を壊してしまう」と、自らの引き際を悟ったようなコメントを残しています。

肺がんという病を抱えながらも、最期まで「自由な表現者」であり続けようとした姿勢は、まさにプロフェッショナルそのものでした。


6. まとめ:昭和・平成のテレビは久米宏とともにあった

「ニュースはただの事実ではない。解釈である」――。

久米宏さんは、テレビを通じて私たちに「世の中を疑うこと」と「面白がること」を教えてくれました。掲示板で「晩節を汚した」と叩く声もあれば、「天国で筑紫さんと酒を飲んでほしい」と悼む声がある。その賛否両論こそが、彼が世の中に強烈な影響を与え続けた証です。

高市政権の誕生や激変するメディア環境を見届け、元旦に旅立った久米さん。

昭和がまた一歩遠くなりますが、彼が残した「ホニャララ」の精神は、これからのメディアのあり方を問い続けることでしょう。謹んでご冥福をお祈りいたします。




written by 仮面サラリーマン

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