2021年12月1日水曜日

一瞬のお小遣いとしては充分だが目的達成には何かの『足しになる』という金額



 『給付金を配っても貯蓄されたら意味がない。消費してもらわないと』みたいな内容の発言を聞くたびに頭がクラッとする印象があります。その給付金って100万円なんですか?だったら発言されてもいいです。


なにか違いますよね違いませんか今議論になっている給付金の金額って「10万円」ですよね。


10万円の給付金がもたらすことってなんでしょう。子供の未来に対して使うのなら『目の前の行楽ではなく将来それこそ未来のための学費として貯蓄』なんて自然な発想のひとつだと思いますが。受験、入学、制服、部活、塾や予備校、修学旅行、給食いろいろとかかる費用は計り知れません。日常生活での靴や服。食費。はっきりいって10万円という金額は『一瞬のお小遣いとしては充分だが何かの目的達成には不十分』ではないですか。10万円って。


100万円単位あるいは少なくとも50万円ごとの給付金であれば『貯蓄するな消費しろ』と叱られてもいいと思うんですけどね。



10万円では貯蓄したとしても『足し』の程度ではないですか。金銭感覚が妙です。金銭感覚というより現実感でしょうか。



自分が学生の頃に思い描いていた未来には、もうすでに『年金?もらえないんじゃん』という不安というか絶望感もありました。同時に『自分でしっかり稼ぐさ』という希望を持つこともできました。過去の自分に対して『今これじゃしっかり稼げているとは言えないかな』と弱音を吐いてしまいそうになります。それでも改善策は日々どんどん見出せると確信しています。


正解にはたどりつけなくても現在における最適な解決策。



そのためには対案は重要です。議論において批判に終始するよりも、明確な議論のため。


どれがいいかがわかりにくくても、『そういう案もあるのか』と気づくことが重要です。




一瞬のお小遣いとしては充分でも、目的達成には何かの『足しになる』という金額だよ。

もちろん『その10万円で一ヶ月生活できる』という人も少なくないでしょう、だからこそそういう人たちこそ『困窮世帯』として認識して手厚く応援していく必要があると考えています。10万円で一ヶ月暮らせるという発言だって、それは『10万円あればなんとかやりくりできる』という苦肉の策の可能性があります。

なのであえて私は一ヶ月30万円を必要最低限だくらいに考えていますので、「ぎりぎりの生活」だけでなく「文化的な生活」へと対象を切り替えて議論していきましょう。

だって「貧困は根絶させよう」でしょう?根絶は言いすぎか、「なくそう」でしたね。





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