2024年4月12日金曜日

鷹見泉石:ヤン・ヘンドリック・ダップルとして蘭学と絵画に貢献したサムライ

題名:ヤン・ヘンドリック・ダップル!そのサムライは鷹見泉石で絵のモデルにも


↓このイベントは終了していますが、茨城県古河市にある晃陽看護栄養専門学校でのもの。
↓ This event has ended, but it was at Koyo Nursing and Nutrition College in Koga City, Ibaraki Prefecture.



↑ JR古河駅東口から徒歩数分にある、「医」と「食」の総合学園。
料理もお菓子もオランダづくし。
日本は江戸時代に鎖国していましたが、オランダとの交流は活発でした。
↑ A comprehensive school of "medicine" and "food" located a few minutes on foot from the east exit of JR Koga Station.
Both food and sweets are made in the Netherlands.
Japan was isolated during the Edo period, but exchanges with the Netherlands were active.




ヤン・ヘンドリック・ダップルという名前
Named Jan Hendrick Dapple

ヤン・ヘンドリック・ダップルは、とあるサムライの名前。ヤン・ヘンドリック・ダップルは「蘭名」=オランダ名で、名乗っていたのが古河藩家老・鷹見泉石です。
Jan Hendrick Dapple is the name of a samurai. Jan Hendrick Dapple is "Ran name" = Dutch name, and the name was Furukawa feudal lord, Senseki Takami.



古河観光協会ホームページから
鷹見泉石は家老として、藩主土井利位(としつら)に仕えた古河藩士。利位が大阪城代であった折りに「大塩平八郎の乱」で鎮圧にあたるなど、大きな働きをしました。また、優れた蘭学者でもあり、数多くの研究資料の収集にあたりました。
十郎左衛門忠常といい、泉石は引退後の名前です。


天明5年(1785)6月29日、土井氏代々の家臣、鷹見忠徳の長男として、当時、四軒町といったこの地に生まれました。
11歳より藩主土井利厚・利位の二代に仕え、ついには江戸家老に進み敏腕をふるいました。


とりわけ藩主利位の「大塩の乱」鎮定・京都所司代から老中への昇進と幕政参画など、その陰にはつねに泉石の補佐が与って大きかったのです。


 蘭学(らんがく)を志し、利位の『雪華図説(せっかずせつ)』の刊行をたすけ、晩年、自らも日本初の『新訳和蘭国全図』を出版しました。かたわら、学者・文化人と広く交わり、オランダ商館長よりヤン・ヘンドリック・ダップルの蘭名を贈られ、開明的外国通といえます
蘭学者  鷹見泉石





鷹見泉石とは?
What is Senseki Takami?



鷹見泉石。
「たかみせんせき」
古河藩家老です。
古河藩主・土井利位といえば、「雪の殿様」と呼ばれています。
鷹見泉石は、雪の結晶の観察に協力しています!
 古河藩・土井利位の「雪華図説」については、こちらをご参照ください ↓
雪の殿様とは? 日本初!雪の結晶を顕微鏡で観察した古河藩主・土井利位

Senseki Takami.
"Takami Senseki"
I'm the Furukawa feudal lord.
Speaking of Furukawa feudal lord Doi Toshitsura, it is called "Snow Palace".
Senseki Takami cooperates in observing snowflakes!
Please refer to here for "Sekka Zusetsu" by Toshitsura Doi of the Furukawa Domain.
What is the Snow Palace? First in Japan! Doi Toshitsura, the lord of the Furukawa domain, who observed snowflakes under a microscope

蘭学だけじゃない!学問にも地図にも海外情報にも精通
Not just Dutch studies! Familiar with academics, maps, and overseas information


蘭学者としても知られていますし、蘭名「ヤン・ヘンドリック・ダップル」で署名をすることもありましたが、さまざまな学問に精通していました。
地図を集めて、目的地への日程を的確に想定することにも長けていたそうです。
He is also known as a Dutch scholar, and although he sometimes signed with the Dutch name "Yan Hendrick Dapple", he was familiar with various disciplines.
He was also good at collecting maps and accurately predicting the date to the destination.

すごい日記!
Great diary!

鷹見泉石は日々の記録を克明につけていました。
「鷹見泉石日記」と呼ばれ、彼が12歳で出仕してからの公務が客観的な視点で書き記されています。
鷹見泉石は藩主・土井利位の側近くに仕えます。
藩主・土井利位は、大阪城代など幕府の要職を務めます。鷹見泉石も付き従って、手腕を発揮していました。
古河藩主・土井利位が大阪城代を務めていたときに、大塩平八郎の乱がありました。
鷹見泉石は探索方を率いて鎮圧にあたっていたと、日記にも克明に記録されています。

浅草誓願寺に参拝
Visit Asakusa Seiganji Temple

土井利位は乱を鎮圧した功績から美濃国兼定の刀を将軍から拝領し、さらに京都所司代に抜擢されます。さらに老中へと、幕府の出世コースを歩みました。
鷹見泉石は、そんな藩主・土井利位の名代として、浅草誓願寺に参拝しています。
浅草誓願寺に参拝したときの姿が、「素襖(すおう)を着て折烏帽子をかぶる正装」とのこと。
その姿を、「とある蘭学の弟子」が絵にしました。
「蘭学の弟子」とは、渡辺崋山。
渡辺崋山は田原藩・年寄役末席(家老職)ですが、絵の才能も開花させていました。
Doi Toshitsura received the sword of Mino Kuni Kanesada from the shogun for his achievements in suppressing the turbulence, and was further appointed to Kyoto Shoshidai. Furthermore, I walked the career advancement course of the Shogunate to the old age.
Senseki Takami worships at Asakusa Seiganji Temple as the name of the feudal lord Doi Toshitsura.
When he visited Asakusa Seiganji Temple, he said that he was wearing a suo and a eboshi hat.
"A certain disciple of Dutch studies" made a picture of that figure.
"Disciple of Dutch studies" is Watanabe Kazan.
Watanabe Kazan is the last seat of the Tahara clan and senior citizen (older profession), but his talent for painting has also blossomed.

モデルに!その絵は国宝!
To be a model! The picture is a national treasure!

渡辺崋山筆  鷹見泉石像
国宝に指定されています。
肖像画として見るだけでも、完成度の高さがわかります。
鷹見泉石がどのような人物だったのか、肖像画に描かれた年齢の頃に何があったのかを知ると、絵の完成度だけではなく「モデルの内面性」まで感じられてきます。
 鷹見泉石が53歳のときの肖像画だそうです。
53歳というと、まさに大塩平八郎の乱があった直後。
浅草誓願寺に参拝したときの姿というわけです。
描いた渡辺崋山は45歳です。
Watanabe Kazan brush Senseki Takami statue
It is designated as a national treasure.
You can see the high degree of perfection just by looking at it as a portrait.
Knowing what kind of person Senseki Takami was and what happened when he was the age depicted in the portrait, you can feel not only the completeness of the painting but also the "innerness of the model".
  It is said that this is a portrait of Senseki Takami when he was 53 years old.
53 years old is right after the turbulence of Oshio Heihachiro.
He is the figure when he visited Asakusa Seiganji Temple.
Watanabe Kazan I drew is 45 years old.

A portrait of Takami Senseki by Watanabe Kazan

Watanabe Kazan (1793-1841) 渡辺崋山 [Public domain]

国宝を修復したときの動画もあります。↓



【追記】
令和ならではの企画展示も興味深いです。
たとえば、
【postscript】
The special exhibition unique to Reiwa is also interesting.
for example,

『弘化4年(1847)の即位礼の図』
時代を超えて、同じような節目の出来事です。
だからこそわかると興味深いのが「違い」なんですよね。
時代の変わり目を意識しつつも、未来志向で好奇心を大切に過ごしましょう。
"Figure of the coronation of the 4th year of Koka (1847)"
It's a timeless event with similar milestones.
That's why it's interesting to understand the "difference".
Be aware of the changing times, but be future-oriented and cherish your curiosity.

【2024年4月加筆】
[Updated April 2024]

鷹見泉石の生涯と業績

1. 鷹見泉石とは

鷹見泉石(たかみ せんせき、1785年 - 1858年)は、江戸時代後期の蘭学者であり、下総国古河藩の家老を務めました。彼は、オランダ名としてヤン・ヘンドリック・ダップル(Jan Hendrik Dapper)を名乗り、蘭学や地理、歴史、天文学、兵学など幅広い分野で活躍しました1

2. 古河藩での役割

鷹見泉石は、古河藩主・土井利厚と利位の2代にわたって仕えました。彼は藩財政の建て直しや、大塩平八郎の乱の平定など、多くの重要な任務を遂行しました。また、対外危機意識の高まりに応じて、国際事情に関心を持ち、蘭学や地理学の知識を活かして藩に多くの情報をもたらしました2

3. 渡辺崋山との関係

鷹見泉石は、蘭学者であり画家でもある渡辺崋山と親交がありました。崋山は泉石の肖像画を描き、その作品は国宝に指定されています。この肖像画は、東洋と西洋の画法を融合させた傑作として評価されています1

鷹見泉石の影響と現代の評価

1. 蘭学の発展への貢献

鷹見泉石は、蘭学の発展に大きく貢献しました。彼は、蘭学者や地理学者、画家、砲術家など、当時の著名な人物と広く交流し、知識の共有と発展に努めました。彼の著作や地図、絵画、書状などは、現在も高い史料価値を持ち、研究者にとって重要な資料となっています2

2. 古河歴史博物館の役割

鷹見泉石に関する多くの資料は、茨城県古河市の古河歴史博物館に所蔵されています。博物館では、彼の生涯や業績を紹介する展示が行われており、訪れる人々に彼の功績を伝えています。また、2024年には、鷹見泉石の晩年を描いた映画「SENSEKi」が公開予定であり、彼の生涯に再び注目が集まっています13

現代における関連トピック

1. デジタルアーカイブの活用

デジタル技術の進展により、鷹見泉石に関する資料や映像がオンラインでアクセス可能になっています。これにより、研究者や一般の人々が歴史的資料に容易にアクセスできるようになり、教育や研究の質が向上しています。例えば、国立公文書館や各国のデジタルアーカイブでは、鷹見泉石に関する貴重な資料が公開されています3

2. 蘭学と現代の科学技術

鷹見泉石が学んだ蘭学は、現代の科学技術の基礎となっています。彼の研究や知識は、現代の科学技術の発展に寄与しており、特に地理学や天文学、医学などの分野でその影響が見られます。現代の科学者や技術者は、彼の業績を参考にしながら新たな発見や技術革新を進めています2

3. 国際交流の重要性

鷹見泉石は、国際交流の重要性を早くから認識していました。彼のように異文化や異国の知識を積極的に取り入れる姿勢は、現代においても重要です。グローバル化が進む現代社会では、異文化理解や国際協力がますます求められています。鷹見泉石の生涯は、現代の私たちにとっても多くの示唆を与えてくれます1

まとめ

鷹見泉石は、江戸時代後期の蘭学者として多くの業績を残しました。彼の生涯や業績は、現代においても高く評価されており、デジタルアーカイブや映画などを通じて再び注目を集めています。彼の研究や知識は、現代の科学技術や国際交流においても重要な示唆を与えており、私たちにとって学ぶべき多くの教訓を提供しています。2024年4月時点の最新情報を加味した内容を参考にして、鷹見泉石の生涯とその影響についてさらに理解を深めてください。

1: 鷹見泉石 - Wikipedia 2: 鷹見泉石の画像、名言、年表、子孫を徹底紹介 | 江戸ガイド 3: 鷹見泉石 : オランダ名ヤン・ヘンドリック・ダップルを名のった武士


written by 水瀬次郎

オリジナル投稿:2019年4月12日

2 件のコメント:

  1. 時代劇の主人公になってもいいような偉人ですね。初めて知りました。ありがとうございます。

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    1. ありがとうございます。交流も多彩なので面白い時代劇になりそうですね。

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